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(回答先: 攻める勇気 「巻を使え」 【産経新聞】 投稿者 愚民党 日時 2006 年 6 月 13 日 07:23:53)
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/wcup/06germany/column/diary/200606/at00009457.html
4パーセントの望み(1/2)
(6月12日@カイザースラウテルン)
2006年06月13日
■試合後のミックスゾーンにて
カイザースラウテルンに向かう途中駅で、オーストラリアのサポーターと遭遇。応援合戦が始まった【 photo by 宇都宮徹壱 】
試合後のミックスゾーンは、日本人記者たちの深い落胆と自虐、そして憤まんやるかたない思いで満ち溢れていた。その外では、オーストラリアサポーターたちの凱歌(がいか)が、いつまでも鳴り止むことなく続いている。そんな中、選手たちは、ある者はうつむき加減に、ある者はじっと一点を見つめたまま、さながら葬儀の参列者のように、無言のまま早足で通り過ぎてゆく。中村は足を痛そうに引きずっていた。坪井の姿も一瞬だけ見えたが、果たしてけがの具合はどうなのだろうか。
宮本はキャプテンとしての義務を果たすべく、きちんとメディアからの質問に応じてくれた。だが、その表情は非常に疲れていて、その言葉は何とも茫洋(ぼうよう)としていた。
「初戦に負けてしまったことで(グループリーグ突破は)難しくなったとは思う。(ロッカールームの雰囲気は)ちょっと暗いですね。
向こうはフレッシュな選手を3人入れてきたけど、こちらは守備陣が疲れていた。(中略)
(クロアチア戦に向けて)勝つために何ができるかということを……今はまだ思いつかないけれど、考えていきたいと思う」
ラスト10分で3失点。これまで何度か、強豪相手に大量失点を喫してきたことのある日本代表だが、現体制になって、ここまで短時間での大量失点というのは今までになかったことである。途中交代のアロイージが、トップスピードで駒野を置き去りにしてダメ押しの3点目を決めた瞬間などは、ボクサーがノックアウトされる瞬間をスローモーションで見ているような錯覚を覚え、直後に「崩壊」の二文字が脳裏に浮かんだ。
もちろん、この「崩壊」の責任は、誰か1人に帰するものではあるまい。とはいえ、それが事故もしくは偶発的なものであったかと問われれば、やはり私は「否」と答えるしかない。さすがに3点は取られ過ぎだと思ったが、それでも今の日本が、それこそ今大会のイングランドやポルトガルのように1−0で逃げ切れるほど成熟したチームであるとは、ちょっと思えなかった。その意味では、敗戦を予感させる要素は、そこかしこに存在したのである。そこであらためて、この試合で何が起こったのか、両チームの選手交代にフォーカスして振り返ってみたい。
■1−0で逃げ切ることは可能だったのか?
前半26分、中村のラッキーなゴールで先制した日本。後半のゲームプランは「向こうが点を取りにくることは分かっていた。それをどうしのぐか、ということを考えていた。もちろん追加点も狙っていたし、カウンターからのチャンスもあった」(宮本)というものであった。
一方ジーコは、試合後の会見で「そこ(1−0)でゲームを終わらせることもできた」としながらも、「(オーストラリアの)後ろ(の守備)が薄くなっているのは確実。あそこで追加点を取っておけばこういう結果にならなかった」と語っている。
守りに入るのか、それとも強気に攻めにいくのか。その見極めは何だったのか、どうもはっきりしない。要するに、チームとしての意思統一ができていなかったのだろう。
そうこうするうちに後半10分、坪井が足をつって倒れてしまう。そして坪井に代わって、緊急招集された茂庭が投入される。ここで、あらためて驚かされる事実が2つ。まず、センターバックのバックアッパーが茂庭しかいないという事実。そして、茂庭の最近出場した試合は、今年2月に行われたアジアカップ最終予選のインド戦(しかも途中出場)までさかのぼらなければならないという事実。いかにジーコが、このポジションに対する危機管理を欠いていたか、この交代が見事に象徴しているといえよう。
これに対してオーストラリアのヒディンク監督は、後半8分にブレシアーノに代えてカーヒル(この試合では結局2ゴールをゲット)、16分にはDFのムーアを削って長身FWのケネディを投入、さらには右サイドで三都主と何度もマッチアップを演じていたウィルクシャーを下げてFWアロイージを送り出すなど、布陣を極端に前傾姿勢にする。
それでも日本のディフェンス陣は、高さでのハンディを素早い寄せと集団での囲みによって、しっかりカバーできていたと思う。またこの日は、ゴールマウスを守る川口も絶好調。自身も「流れというか、フィーリングを引き寄せることができていた」と語るように、何度もファインセーブを連発し、ビドゥカをはじめとするオーストラリアのアタッカー陣は天を仰ぐばかりであった。
確かに、後半に入ると見ていて失点する雰囲気は感じられなかった。オージー(オーストラリア)のシュートは、次第に精度を欠いた長距離砲となり、加えて折からの暑さと焦燥感で冷静さを失っているようにも見えた。これなら勝てるかもしれない。
34分、さらに相手が前がかりになったことで、スペースメーカーとしての存在意義が薄れた柳沢に代えて、小野が投入される。おそらくここで、ジーコも1−0で逃げ切る踏ん切りをつけ、あわよくば追加点を狙おうと考えたのだと思う。オーストラリアの怒涛(どとう)の3ゴールがさく裂するのは、このわずか5分後のことである。
<続く>
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/wcup/06germany/column/diary/200606/at00009457.html
■あらためて明らかになった“4年間の成果”
試合会場の近くにある公園で、日本代表をかたどったオブジェを発見した【 photo by 宇都宮徹壱 】
その後の日本の3失点については、皆さんもすでに何度もリプレーをご覧になっているだろうから、ここであらためて描写するまでもあるまい。むしろ私が問題にしたいのが、大黒の投入のタイミングが、逆転された直後のロスタイムであったことだ(交代したのは茂庭)。
ロスタイム3分で劣勢挽回(ばんかい)を大黒1人に託してしまう。もちろん逆転された状況と残り時間を考えれば、できることは限られていただろう。しかし、そこに私は、ジーコ采配(さいはい)の限界を見る思いがする。日本は同点に追いつくどころか、逆にアロイージに3点目を決められて万事休すと相成った。
「これが4年間の成果か……」
この試合を見た大半の人々は、こう感じたことだろう。時間だけではない、その間に数十億という予算と60試合以上のテストマッチを費やして、その結果がワールドカップ(W杯)初戦で1−3――それも相手はブラジルでもイングランドでもドイツでもない。今回32年ぶりに2度目の本大会出場を果たし、次回のW杯地区予選からアジアに編入されるオーストラリアに対して、である。
一方のオーストラリアは、1年にも満たない期間で、しかも日本より潤沢ではない予算で、これだけの強化に成功したのである。これはどう考えても監督の差であり、「チームマネジメントの差」であるといわざるを得ない。
ついでにいえば、本番のスタメンやシステムを事前に公表してしまう“透明性”、貢献度重視の選手選考、バックアッパーの層の薄さ、守備に関する細かい取り決めの選手への丸投げ、といった“ジーコイズム”と呼ばれるものについても、大会終了後にはあらためて精査する必要があるだろう。こうした思想や信条が、本当に世界と戦う上で、どれだけ有効だったのか。それを推し量る意味でも、このオーストラリア戦を含めたW杯の結果というものを、われわれは重く受け止める必要があるのではないか。
もちろんジーコ体制下の4年間を、W杯の結果だけで問うことについての是非は、一方であるだろう。それに巷間(こうかん)で語られる「選手に自主性を植え付けた」とか「自由な発想による見ていて楽しいサッカーを実践した」といったポジティブな面も、決して全面否定できるものでもあるまい。
しかしながら、代表チームが敗れて屈辱的な想いを抱いているのは、決して選手や関係者だけではないことは、やはり認識してほしいと思う。そうした同胞の期待や思いをイメージしながら、われらが日本代表には、グループリーグ残り2試合を悔いのないように戦ってほしい――そう、心から強く願っている。
■残された可能性はゼロではない
この日の夜、会場のフリッツ・バルター・シュタディオンを出て、カイザースラウテルン中央駅に向かう。この時期、ヨーロッパの日は長い。真っ赤に燃える西日を背景にして、多くのオーストラリアのサポーターが、今日の勝利の余韻に酔いしれていた。そんな彼らの姿が、決して嫌味に感じられないのは、やはり32年間の重みによるものだと思う。
オーストラリアが過去W杯本大会に出場したのは、1974年の西ドイツ大会であった。この時は、東ドイツに0−2、西ドイツに0−3、そしてチリに0−0と、初勝利はおろか初得点を挙げることもなく、オーストラリアは本大会を去っていった。
その後のオーストラリアは、オセアニア予選では圧倒的な強さを見せるものの、大陸間プレーオフでは必ず欧州や南米やアジアの国々との対戦に回され、いつも「あと一歩」のところで涙をのんでいるうちに、気がつけば32年の月日が経ってしまった。それが今回は、W杯初戦で初ゴール、初勝利。さらには初のグループリーグ突破も夢ではない状況あるのだ。これを喜ばずして、いつ喜べというのであろうか。
一方の日本代表だが、もちろん戦いはまだ始まったばかりだ。ただし、前述の宮本の言葉どおり、今日の敗戦で「(グループリーグ突破は)難しくなった」というのは、当人の偽らざる心境であり、それはデータ的に見ても明らかである。
ここに、何とも厳しい数字がある。W杯が現在の32カ国出場になってからの1998年大会と2002年大会では、のべ23カ国のチーム(サウジアラビアとチュニジアは2大会連続)がグループリーグ初戦で敗北を喫している(当然、8年前にアルゼンチンに敗れた日本も含まれる)。そのうち、決勝トーナメント進出を果たしたチームは、02年大会のトルコだけ(ちなみにトルコが敗れたのは、この大会で優勝したブラジルであった)。すなわち、初戦に敗れた23カ国中、1カ国しかベスト16以上に進出できなかったことになる。
23カ国中1カ国というのは、要するにおよそ4パーセントだ。端的にいえば、オーストラリアに敗れた日本代表は、この4パーセントの生存の可能性に賭けて、グループリーグの残り2試合を戦い抜くしかないだろう。もちろん、残された可能性としては決してゼロではないものの、しかし極めて困難なミッションであることも間違いないのだが……。
いずれにせよ、あらためて裏の試合が気になってくる。残り2試合で対戦するライバルたちについて、きっちりスカウティングすべく、翌日はベルリンで行われるクロアチア対ブラジルの試合を観戦してこようと思う。
<翌日に続く>
宇都宮徹壱/Tetsuichi Utsunomiya
1966年福岡県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、欧州を中心に「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旧共産圏のうらぶれたスタジアムと、現地で飲む酒をこよなく愛する。著書に『幻のサッカー王国』『サポーター新世紀』(いずれも勁草書房)、『ディナモ・フットボール』(みすず書房)
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