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(回答先: 日清戦争の前、日本海軍には清国の戦艦「定遠」「鎮遠」の装甲を貫徹できるだけの装備をもった軍艦は一隻もなかった。 投稿者 hou 日時 2006 年 4 月 25 日 00:48:42)
>日本は財政的に余裕がなかったため、中型の防護巡洋艦に32センチ砲を
>1門ずつ搭載、高速で定遠クラスを撃滅しようと考えた。
http://www.asyura2.com/0601/bd43/msg/664.html
まさにそのとおりと言えましょう。
それ以前の数度の黄海海戦の失敗(T字戦法、逆航戦)から、日露戦争の対馬沖海戦でも、速度の優位で順航戦に持ち込み中小口径砲で大量の砲弾を叩き込むという戦訓を得ているのに、昭和の馬鹿軍人どもが、いたずらに肥え太った大砲だけが馬鹿でかい鈍足戦艦を作ってしまうという失態をしでかしたのですねぇ。
> 明治27年7月25日、初めての戦闘が起こる。日本による宣戦布告は明治
>27年8月1日である。
>
> 黄海海戦 9月17日 快速の軽艦隊(日本)でも重装備の巨大艦隊(清)を
>破ることができた。4時間半の戦闘で清国艦隊12隻のうち、4隻が撃沈された。
>日本側は1隻も沈んでいない。
「坂之上の雲」(司馬遼太郎)
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