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(回答先: Le Kamikaze-5-(三四郎の日記)【零戦特攻のことども】 投稿者 gataro 日時 2006 年 4 月 07 日 09:55:34)
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-264.html から転載。
市役所のサクラが満開。
ことしのサクラは咲くのが早かったので、散るのも早いかなと思っていたら、花冷えのころあって、入学式近くまで持っている。
前の記事でも書いたように、サクラ=沖縄=特攻というリンクが自分のなかにできていて、この花をみながら飛び立っていった人たちのことを思うと鼻の奥がツンと来ることがある。
米軍の沖縄上陸は4月1日。
大本営は、菊水作戦を発動する。
九州の特攻基地から、連日のように特攻機が沖縄めざして飛び立っていった。
航空機による特攻は、大きく言って二つの段階に分かれると思う(2月21日の硫黄島周辺海域、3月11日のウルシー攻撃、8月の木更津、百里が原からの出撃をのぞく)。
第一段階は1944年10月21日から1945年1月21日までのフィリピン攻防。第二段階は、3月18日から6月22日までの沖縄戦での特攻。
第一段階の特攻の特徴は、一応護衛機がついていたことだ。特攻機2に対して、護衛機兼戦果確認機3といったように。ところが、第二段階は護衛機はまったくつかない状態での出撃だった。
しかも、後期になると、ゼロ戦や爆撃機などの正規の戦闘用飛行機だけでなく、「白菊」などの練習機までつぎこむものだった。
フィリピン戦での特攻攻撃から特攻対策を立てた米軍は、レーダーで補足すると、戦闘機部隊を上空にあげて「ピケットライン」をはって待機する。
ここでやってくる特攻機(しかも護衛機のつかない500キロ爆弾をつんだ)を待ち受けて撃ち落とす。それをかいくぐった特攻機を待っているのは、猛烈な対空砲火の壁である。
こうしてほとんどの特攻機は、撃ち落とされた。
米艦上空に到達した特攻機は、きわめて少数であった。
これはもう、戦闘ではない。
軍隊による自殺強要である。
サクラの花の咲くころ
悲しい戦争で散っていった
人たちのことを思う。
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