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(回答先: 東アジア共同体評議会 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 8 月 20 日 21:23:38)
東アジア共同体の逆説 進藤榮一氏 筑波大学大学院名誉教授
2006年7月28日
http://www.ceac.jp/j/column/060728.html
東アジアに「共同体など出来っこない」という議論が大手をふるっていたのに、ここ数年風向きはすっかり変わってしまった。いまや「アセアン+3(日中韓)」を軸に一歩一歩、共同体の道のりがつけられている2005年12月にはクアラルンプールで、「アセアン+3」サミットが東アジア・サミットとともに開かれ、共同体の輪郭も見え始めた。このところ「東アジア共同体」の言葉がメディアで頻繁に見聞きするまでになっている。いったい東アジア共同体とは何であるのか。なぜこれほどまでに構築が疑問視されてきたのに、いま統合の動きが加速され続けているのか。
どうやらそこには、東アジア共同体の逆説とでもいうべきものが隠されているようだ。逆説は、共同体懐疑論のそれぞれに及んでいる。
第1に、共同体をつくることは「大中華帝国」に呑み込まれることになるという中国脅威論から来る懐疑論だ。しかし、現実は「中国の経済力が日本を超える日」が不可避であるばかりでなく、中国との共存なくして日本の繁栄はありえないほど両国の相互依存が深化している。しかも相互依存は、韓国やアセアンを介在して広く東アジア一帯に及んで、その制度化を促し続けている。中国脅威論の逆説である。
第2に、靖国などの歴史問題が残るかぎり共通の文化は生まれず、共同体など出来ないという文化的懐疑論だ。しかし共同体の議論が深まれば深まるほど、現実は、偏狭なナショナリズムを克服する動きを逆に増し続けるばかりでなく、私たちの心と歴史のひだに潜むアジア主義を目覚めさせて、統合の動きを支えつづけていく。文化的懐疑論の逆説である。
第3に、共同体の形成には米国が反対し、日米安保にも反することになるという懐疑論だ。だがそこから明らかになってくるのは、ポスト冷戦後の世界で私たちの直面する危機が、軍事よりもむしろ、金融危機や環境劣化、飢餓や貧困問題、海賊やテロなど非伝統的安全保障領域の問題であって、その解決に冷戦期の軍事安保が容易に機能しないという現実である。そして逆にアジア域内の地域協力が求められ、実際に東アジア域内の市民たちがそれぞれの領域で地域協力の歩みを強めつづけている現実だ。軍事安保論の逆説である。
いま、それら三様の逆説の中から、東アジア共同体の輪郭がこれまでになく浮き彫りにされてきているのである。
[紀伊国屋書店『じんぶんや 』第23講より転載]