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(回答先: 歴史問題、永遠に追及 中国主席が指示 投稿者 Sirent Tears 日時 2006 年 8 月 10 日 21:21:40)
http://my.reset.jp/~adachihayao/040910Y.htm
中国共産党、四中総会16日開会 江沢民・軍事委主席留任か
胡錦濤派との党内抗争激化回避
【北京=伊藤正】十六日開会する中国共産党十六期中央委員会第四回総会(四中総会)で、江沢民・中央軍事委員会主席(七八)の去就が注目されている。仮に辞任した場合、後任は筆頭副主席の胡錦濤総書記になる公算が大きいが、江氏率いる「上海グループ」との力関係や政治改革への影響が必至なため、当面は留任の可能性が高いと北京ではみられている。
江沢民氏は二〇〇二年十一月の第十六回党大会で、中央委員再選を求めず総書記を離れ、続く〇三年三月に国家主席職を手放したが、軍事委主席には留任した。米中枢同時テロ事件後の不安定な国際情勢の中で、胡錦濤総書記以下大幅に若返った新指導部を補佐するとの名目だった。
一九八七年の第十三回党大会で、中央委員引退後も軍事委主席に留任したトウ小平氏の前例にならった形だが、当初から不評を極めた。トウ氏の留任は当然視されたのに対し、江氏については「党が軍を指揮する」原則からの反対に加え、腹心の曽慶紅政治局常務委員ら上海グループの権力支配を狙う「党派的野心」への批判も強かった。
香港の中国系月刊誌「鏡報」九月号によると、こうした声を意識してか、江氏は留任に際し、新指導部に「(退任の時期は)早ければ早いほどよい。次の十七回党大会まで待たせないでくれ」と語っていたという。
トウ小平氏は天安門事件後の一九八九年十一月に軍事委主席を江沢民氏に移譲し、第一線からの引退を表明した。「非中央委員の主席」期間がトウ氏と同じ約二年になり、胡錦濤政権が安定した現在が本来、「江氏引退の時期」と中国筋は言う。
八月二十二日のトウ小平氏生誕百周年記念演説で、胡錦濤氏はトウ氏の業績の一つに「指導者終身制の廃止」を挙げたが、これは胡氏と江沢民氏の間で、引退時期について何らかの合意があった結果と観測された。その後、江氏は内部の会合で辞任を示唆する発言をしたとも伝えられた。
しかし北京の専門家筋は、四中総会での「辞任」に懐疑的だ。胡錦濤氏と温家宝首相が主導する経済調整策や、総会の主議題になる「執政能力建設」をめぐって江氏ら上海グループは強く反対、「二つの司令部」があるといわれるほど、抗争が激化しているためだ。
「執政能力建設」の理念は、トウ小平氏が八〇年に提起した政治改革構想を基本にし、八二年の第十二回党大会における党、国家、軍の三大権力の分化体制が目標という。十三回大会も同様だったが、天安門事件後の異常事態の中で、トウ氏は江氏に三権を集中、その結果、権力の監視機能の弱体化や偏った予算配分による矛盾、問題を招いた。
しかし仮に江氏が辞任し、胡錦濤氏が後任になれば、江氏時代と同じ三権集中になり、政治改革の方向と矛盾する。江氏は、曽慶紅氏を副主席に補充、将来の後継者にする意向を持っているとされ、辞任の条件にしている可能性もある。
胡錦濤氏にとっては当面、江沢民氏の辞任は望ましくなく、江氏は、胡氏の慰留を前提に「辞意」を漏らし、政策面での譲歩を勝ち取った、との見方が生まれている。既に政治改革案は大幅に後退したと伝えられている。
(産経新聞) - 9月10日3時18分更新