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(回答先: アメリカ軍と中国人民解放軍との間に何か取引があったのでは?中国中央軍事委員会動きが気になる 投稿者 hou 日時 2006 年 7 月 18 日 05:54:19)
http://www.panda-mag.net/keyword/ta/gunji.htm
党と国家の軍の統帥権を保持
中央軍事委員会
人民解放軍の最高軍事指導機構であり、全国の武装勢力を指導、統帥する。「中国共産党中央軍事委員会」と「国家中央軍事委員会」がある。主席は胡錦涛(国家主席・党総書記)。
国家中央軍事委員会(かつては国防委員会)は国務院、最高人民法院、最高人民検察院と並ぶ最高国家機構の1つとされ、「全国の武装部隊を指導する」と憲法で定めている。もっとも、国家中央軍事委員会と中国共産党中央軍事委員会は同一の機構であるとされ、両者の構成メンバーも82年以降はほぼ一致しており(それぞれの委員を選出する党中央委員会と全人代の開催時期が異なることから若干の期間はズレる)、共産党が党中央軍事委員会を通じ軍の指揮権を掌握しているのが実態である。かつてケ小平はヒラの党員になっても、中央軍事委員会主席のポストだけは維持したが、党の最高ポストである党中央委員会総書記を実質的に上回る権力を持つからである。
党中央軍事委員会の主席、副主席、委員は党中央委員会によって選出される。また、国家中央軍事委員会主席は全国人民代表大会(全人代)で選出され、全人代と全人代常務委員会に責任を負う。副主席、軍事委員などの人選は、全人代、またはその常務委員会が国家中央軍事委員会主席の指名に基づいて決定する。
2002年11月の第16期1中全会及び2003年3月の第10期全人代第1次会議で選出された党と国家の中央軍事委のメンバーは8人。主席が江沢民、副主席は胡錦涛、郭伯雄(政治局委員)、曹剛川(国防相・政治局委員)、委員は徐才厚(総政治部主任)、梁光烈(総参謀長)、廖錫龍(総後勤部長)、李維耐(総装備部長)。
前党総書記、国家主席とはいえ、党では中央委員でもないヒラ党員で、国家主席からも退任した江沢民が中央軍事委員会で、現職の総書記・国家主席である胡錦濤の上位に就くことは、ケ小平の先例にならったとはいえ、やはり異例というべきだった。
2003年2月の16期2中全会で、江沢民が党中央軍事委主席を総書記の胡錦涛に譲るかどうかが焦点となったが、結局は再選。3月の全人代でも国家中央軍事委主席に再選された。しかし、再選に反対・棄権票が多く出たことで、改めて反発の強さが示された。その後も“江沢民院政”への批判と世代交代への圧力は強く残った。
胡錦涛総書記を主席に選出。委員も11人に拡大
2004年9月の16期4中全会で江沢民は党中央軍事委員会主席を辞任、事実上の完全引退となった。胡錦涛総書記が後任の主席に就任するとともに、総政治部主任の徐才厚委員が副主席に昇格。名実とも胡錦涛時代が到来した。
また、4中全会では、新たな軍事委員として陳炳徳(済南軍区司令)、喬清晨(空軍司令)、張定発(海軍司令)、靖志遠(第2砲兵司令)の4人を新委員を選出。陸軍以外からも3人が委員に加わり、現在の8人体制から11人体制へと拡大された。
新たな党中央軍事委員会メンバーは次の通り。2005年3月の全人代で国家中央軍事委員会も同様の人事となった。
主席=胡錦涛(総書記・国家主席)
副主席=郭伯雄(上将)、曹剛川(国防相)、徐才厚(総政治部主任)
委員=梁光烈(総参謀長)、廖錫竜(総後勤部長)、李継耐(総装備部長)、陳炳徳(済南軍区司令)、喬清晨(空軍司令)、張定発(海軍司令)、靖志遠(第2砲兵司令)。(2005年3月15日更新)