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(回答先: Re: 国民党支配域では、ロット単位で国民党軍に参加した軍兵の割合は多かったようです 投稿者 Kotetu 日時 2006 年 6 月 07 日 00:48:57)
wikiで、下記の様な記述がありました。マッカーサー大陛下のポチに成り下がった旧軍部のやりそうなことですな。
じつわ旧軍部の一部と国民党(蒋介石派)はズブズブの関係があったのですね。戦後の歴史の中で無視されていますが、日中戦争の最中にもニポン軍事顧問団が重慶にいたのです。
ま、一応、表向きの国策に反しますので”退役(休職?)軍人”の身分でありますが・・・
そのへんが、統一してるかに見えるナチスドイツと若干違うところですね。ニポン軍部は割れていたわけでござんして、ニュルンベルグ裁判と東京裁判の質的な差にも影響してるのではないかと疑ってます。
ニポン敗戦後も、国民党(蒋介石派)と旧軍部や財界とのお付き合いは継続しておりまして、立花隆が一連の「ロッキード事件」関係で書き及んでますが、東洋人の工作員(ニポン人かどうかは不明)を大陸に空輸していたとか・・・
それがニポンの大手航空会社の前身ですね。
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(略)
日本の敗戦後、再び国民党と共産党は戦後構想の違いより対立へと転じ、1946年6月より内戦を再開させた。国民党軍は約430万(正規軍200万)でアメリカ合衆国の援助も受けており、共産党軍の約128万(正規軍60万)と比べ優位に見えた。しかし、国民党はすでに中国の人心を失っており、兵士の士気も低く、最終的に毛沢東率いる共産党に敗れた。その結果、1949年に共産党による中華人民共和国が成立した一方、国民党の指導者蒋介石は台湾へ逃れた。
敗戦後、日本は密かに旧日本軍将校団(白団)を軍事顧問として送って蒋介石を支援していた。
(略)
「国共内戦」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%85%B1%E6%88%A6%E4%BA%89
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