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(回答先: 「汪兆銘政権下の支那(中国)」と「蒋介石政権下の支那(中国)」があります 投稿者 Kotetu 日時 2006 年 5 月 08 日 10:53:32)
>ご承知のとおり、清朝はもともと満州の政権ですから、清時代にも、領域内でもっとも治安のよい地域だったと言えます。清朝は満州を一種の聖域とし、漢族の移住などは厳禁してきました。満州国成立でその防壁が崩れたのですから、漢族が大挙して押し寄せるのは当たり前のことであり、日本の統治が良かったからという論証には直接つながりません。
満州事変前の満州国の人口は約3000万人でその大部分は密入国者などの漢族でした。現在の中国東北地方の満州族の総人口は500万人程度ですから、当時の満州族の人口は満州国の総人口の1割を超えない程度と考えられます。従って、満州国が治安がよいのは当たり前というのは全く成立しません。
第二次世界大戦前の中国では、日本や欧米の租界の治安が非常に良いために中国人の金持ちが競って移住すると言う現象が見られました。日本支配時代の台湾も非常に治安が良かったと言われています。日本支配下の満州国の治安が良かったのも当然と考えられます。
>1937年の「南京攻略戦」からまもなくしてニポン帝国陸軍の支配域に入った地域ではないかと思います。
>愛国心を主張する者ほど売国奴さんが転載された「国際派日本人養成講座」の作者は、そういう知識がない人ではないかと思いますよ。その作者が詰っている「国民党政権下の中国」の状況は、正しくは「汪兆銘国民党政権支配下の中国」ではないかと思います。もしそうなら、「汪兆銘国民党政権支配下の中国」は、ニポン支配下の中国とほとんど同義ですから、満州と比較することがおかしいということになりますね。
勝手な思いこみで話を進められるのは感心しませんね。劉震雲「温故一九四二」を読めば分かりますが、河南省の大飢饉は重慶の蒋介石政権が支配していた時期に発生し、帝国陸軍が河南省に侵攻したことで食料が被災民に供給されて終了しました。
結局あなたは、日本軍が中国に行ったことの中に善行が含まれるという事実を認めることが出来ないので勝手に話をでっち上げているだけのように思われます。少なくとも、「国際派日本人養成講座」の作者について「知識がない」と批判する資格があなたにないことは100%確実であると分かりました。