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(回答先: Re: 百姓(民衆)は国家のために生きるにあらず-台湾の事例 投稿者 Kotetu 日時 2006 年 5 月 08 日 01:17:36)
あまり小説は読まないたちなので、『温故一九四二』(拙文http://www.asyura2.com/0601/asia4/msg/383.html)も当然f(^^)?にして読んでないわけですが、小説の舞台は1942年の河南省だそうです。
南京のある江蘇省(こうそしょう、ピンイン: Jiāngsū)の西に接してます。
1937年の「南京攻略戦」からまもなくしてニポン帝国陸軍の支配域に入った地域ではないかと思います。
そこになぜ「国民党軍」がいるのか?と言えば、じつわ国民党政権は二つあるのです。
その一つは、正統な?「(蒋介石)国民党政府」であり、もう一方は「(汪兆銘)国民党政府」です。で、小説の舞台は1938年から1945年にかけて存在した「汪兆銘の国民党政府」のエリアじゃないかと思います。
<資料>
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汪兆銘政権 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
汪兆銘政府(おうちょうめいせいふ)は、1938年から1945年にかけて中国に存在した中華民国・国民政府の一つ。行政院長(首相)は汪兆銘。なお、首都を南京としていたことから、当時の日本では南京国民政府とも呼称された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%AA%E5%85%86%E9%8A%98%E6%94%BF%E6%A8%A9
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中国共産党の立場から言えば、蒋介石の重慶政府も汪兆銘の南京政府も同じ穴の狢ですしから、両方とも<国民党政府軍>になりますし、官吏も国民党官吏になりましょう。
また、蒋介石の国民党政権から見れば、裏切り者であり、汪兆銘政権の軍や官吏は、ニポンの手先に過ぎませんから、国民党軍や国民党官吏などの用語は禁句です。
そういう状況下ですので、中国やニポンの近現代史でも、汪兆銘政権下の研究はほとんどないようです。
愛国心を主張する者ほど売国奴さんが転載された「国際派日本人養成講座」の作者は、そういう知識がない人ではないかと思いますよ。
その作者が詰っている「国民党政権下の中国」の状況は、正しくは「汪兆銘国民党政権支配下の中国」ではないかと思います。
もしそうなら、「汪兆銘国民党政権支配下の中国」は、ニポン支配下の中国とほとんど同義ですから、満州と比較することがおかしいということになりますね。
なお、ニポン支配下の中国にも満鉄みたいな鉄道がありました。
<資料>
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華中鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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華中鉄道株式会社(かちゅうてつどうかぶしきがいしゃ・華中鉄道股□有限公司)とは、日中戦争によって日本軍が占領した中国の鉄道の内、華中地域の運営を行う事になった日本・中華民国汪兆銘政権(維新政府)の合弁特殊法人である。中支那鉄道・中支鉄道ともいった。
華北地域の鉄道運営を行う事になった華北交通とともに、日本占領期における中国の交通運営・統制を担った。実質的には日本の国策会社であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E4%B8%AD%E9%89%84%E9%81%93
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