★阿修羅♪ > アジア4 > 387.html
 ★阿修羅♪
劉震雲「温故一九四二」については4/14に空耳板でTORAさんが詳細を紹介しています。中国知識人の激烈な共産党批判あり。
http://www.asyura2.com/0601/asia4/msg/387.html
投稿者 愛国心を主張する者ほど売国奴 日時 2006 年 5 月 07 日 06:58:32: tTp1/cyvuKUmU
 

(回答先: いちおうソースを明示したほうがよくありませんか? 投稿者 ×× 日時 2006 年 5 月 07 日 02:15:24)

劉震雲「温故一九四二」(あらすじ) 日本軍は比較的見識があり、民心の向背に注意を払った
http://www.asyura2.com/0601/bd43/msg/546.html
小説「温故一九四二」 日本軍は、餓死寸前の中国の農民に軍糧を放出し、飢餓農民を救った
http://www.asyura2.com/0601/bd43/msg/542.html

この小説については、産経新聞が4月11日に報道しており、それに関連して4月14日に空耳板にTORAさんが上記の詳細な情報を投稿しておられます。TORAさんが投稿されておられない部分(この小説に関する中国人の反応等)についてはこの投稿の末尾に転載しておきます。中国共産党に対する中国知識人の激烈な批判があって実に興味深い所です。

>読売の記事では
>>中国では、日本軍は「絶対的な悪」であり、国民は売国奴であってはならないとの認識

>の存在を想像しているのでしょうが、この記事は、農民が戦う相手は中共軍の直接の敵である国民党軍だということを忘れていますね。中共軍から見れば国民党軍も売国買弁のはずですので、農民が国民党軍をやっつけても売国奴にはなりません。農民の敵役が国民党軍だからこそ、この話が今のところ中国で許されている理由なのではないのでしょうか。

TORAさんもこの点には触れておられますね。私も同意します。この小説が発表されたのは1993年とのことですが、反日的な江沢民政権の元でこの小説がかろうじて弾圧を逃れたのは、国民党批判であるからでしょう。江沢民の実父は日本占領下の江蘇省で日本の特務機関に協力していた過去があり、「漢奸の息子」との批判を避けるために強硬な反日政策を採ったという見方があります。ただし、南京大虐殺に代表される残虐な日本のプロパガンダという中国政府の公式政策に反していることは間違いありません。

私はこの本の日本語版を最近購入して読みましたが、日本軍による軍票放出に関連する文章は非常に短く、どのような規模で誰がどのように行ったか等の詳細な情報は一切ありません。そこまで書くことは江沢民政権の中国でも今も中国でも許容されないということでしょう。この小説の記述の多くは、飢饉に苦しむ中国の民衆の悲惨な有様の描写と、その民衆から税として穀物を取り立てた国民党の役人への批判に尽くされています。

しかし、不思議に思われるのは、著者は1943年の中国国民党政権下での飢饉を批判するだけで、1960-1961年の大躍進政策期間中の死者二千万とも三千万とも言われる大飢饉に触れていないことです。こちらの方は中国全土に影響が及んでおり、より最近の事件であることから、この本を読んだ中年以上の中国人は大躍進政策を連想したであろうと思われます。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog109.html
中国には指桑罵槐(しそうばかい)と言う言葉がありますが、「温故一九四二」もそうだとすれば、名目上は国民党政権を批判しつつ、実際には毛沢東と中国共産党を批判しているのだと言う見方もできます。建国の英雄である毛沢東を批判することへのタブーが徐々に薄れつつあるのかもしれません。
この小説の映画化が予定されていることも注目されます。今年の秋にはドイツ政府がホロコーストに関連する資料を公開する予定であり、ホロコーストの嘘が暴かれれば同時に南京大虐殺の嘘も明らかになって中国共産党は政治的に窮地に追いやられます。中国は反日政策を取りやめて方向転換する必要性がでてくると想像され、この小説の映画化はその政策転換を示しているのかもしれません。WTO加盟から五年後の今年中に中国は金融業を外資に解放する義務があり、膨大な不良債権を抱える中国系銀行から中国人の膨大な貯金が外資系金融機関に流出して中国系銀行が経営危機に陥る危険があることも考えると、今年秋〜冬の中国は政治的にも経済的にも大混乱の状況を迎えると予測されます。

----------------------------------------------------------------------
劉震雲「温故一九四二」    Y.
『中国当代作家選集還書 劉震雲』(人民文学出版社、2000年9月、第1刷)
【時代】1942年春−1943年冬
【場所】河南省
【登場人物】
  「私」:『百年災害史』主編者の友人に依頼され、取材のために故郷の河南省に帰った小説の叙述者。
  私の母方の祖母:92歳で、無数のごく普通の百姓で、田舎の老婦人である。彼女は、解放前(1949年以前)は、地主の雇農であり、解放後は人民公社(中国農村の行政、生産、社会基層組織、1958年設立、82年廃止)の社員となった。“おばあちゃん、五十年前、大干ばつでたくさんの人が飢え死にしたの?”という、「私」の質問に対して、おばあちゃんは、ありきたりで、何の変哲もない口ぶりで、こう答えた。“飢え死にした年月が多すぎてね。お前は、いったい何年を指すのかい。”92歳のおばあちゃんは、中国革命と反革命による波瀾万丈の運命の縮図である。中国の歴史は、彼女たちとは無縁である。歴史は、ただ“富麗堂皇(華麗で宏壮な大ホール)で散策する”のである。だから、「私」は、おばあちゃんが歴史を忘却することについて、少しも恥ずかしいとは思わない。92年の間に、国政は大いに乱れた。さらに、天災まで続き、毎年いたるところで庶民が災難を受け、無残にも餓死したということは、頻繁にあった。やむを得ず、「私」はイナゴの災害に触れた。おばあちゃんは、やっと1942年のことを思いだした。また、1960年、新中国の大飢饉の時は、おばあちゃんは「私」の命の恩人でもある。彼女は気立てが優しく、字が読めないが、大義をよくわきまえている。おばあちゃんのような庶民の存在こそ、私が生きていく上で、いささかの勇気を与えてくれる。
  花瓜おじ:母方のおじである。24年間(1948−72年)、村の党の書記として在職した。ちゃんとした家一軒も建てておらず、村人にずっと嘲笑されてきた。大飢饉の時は、十五、六歳で、“餓死を恐れて、お母さんと一緒に陝西省へ逃げていった。”1948年、国民党に捕らえられ兵士に徴発されたが、戦争を恐れて逃げ帰った。一緒に捕らえられて入隊した戦友が、今、台湾から帰郷し、妾を連れて金持ちになっていることを知り、とても悔しいと感じている。
  范克首おじ:地元で指折り数える中に入るほどの地主である。赤ん坊の時、「私」のおばあちゃんと義母の縁を結んだ。「私」のおじいちゃんとおばあちゃんは、彼の家の作男になった。1949年以後、私のおばあちゃん一族は、“貧農下層中農”になり(1)、范おじの父は、“鎮反運動”の時に銃殺され(2)、范おじ本人は1978年まで監視されていた。
  毋(Wu)得安:被災民蜂起のリーダー。千人を引き連れ范おじの家を占領した。しかし、火災で毋(Wu)は焼死し、蜂起は解体された。
  郭有運:八十余歳の老人。1943年「逃荒(飢饉のためよそに逃れ行く)」の途中、母親の病気治療のために次女を売ったが、母親の病気は治らず死亡した。彼は棺桶もなく、母親を簡単に埋葬した。長女はカトリックの慈善院で死亡した。息子は貨物列車の車体につかまって移動していたが、手が疲れて落ち、列車の車輪に押し潰されて死亡した。妻と一緒に陝西省にたどり着いたが、妻は苦しみに耐えきれず逃げた。数年後、彼は今の家庭を新たにつくった。
  蔡おばあちゃん:70歳。1943年「逃荒」時、人買いに転売され、五年間妓楼生活を送った。48年国共内戦の時、逃げて帰郷した。その後、80年代後期になると、下心のある出版社やベストセラーの作家が皆、彼女を取材し、「私の妓女生涯」というテーマで出版を企画した。蔡おばあちゃんの親族は、自分の肉親の苦痛を売り物にして、人々の興味や好奇心を満足させることに気づき、全ての取材を拒絶した。「私」もそうだった。しかし、「私」が、郷の派出所の副所長である小学校の同級生に、この話をしたところ、副所長は蔡おばあちゃんを取り調べるという理由で身柄を拘束して、連れて来ようとした。「私」は驚いた。「彼女は今犯罪を犯していないが、どうして身柄を拘束すると言えば、すぐにできるのか。」「彼女は娼婦だ。私の打倒すべき対象だ。どうしてできないのか。」「それは、五十年前のことだよ。」「私は、いつでも彼女を逮捕できる。私は、この郷の支配者だ。」このように言い、怒る彼を、「私」はやっとなだめた。
  白修徳:アメリカ『タイムズ』の記者。『探索歴史』という本において、1943年2月の河南への旅を記述した。
  込里儼・福櫛曼:イギリス『ロンドン・タイムズ』の記者。
  托馬斯・梅甘:アメリカのカトリック司教。
  約翰・S・謝琉思:アメリカの外交官。1942年に、彼はアメリカ政府への報告書の中で、次のように記述した。“河南省の罹災民にとって、最も大きな負担は、絶えず大きくなる実物税と軍隊に徴発される食糧である。非合法的な徴税項目、分担金の税率などは、農民の普通の作柄の30−50%を占めている。・・・・・確かな証拠によって明らかにされているところでは、農民から徴収した軍隊の食糧が、実際に軍隊に必要とされる以上を越えたのである。中国の軍隊には、長い歴史をもち、今でも流行している慣例がある。それは、上級組織に対して、軍隊の人数を実際からはるかに超える人数にして報告することである。このようにして、彼らは欠員の公金を浪費し、私利私欲のために用いる。・・・・・河南省では、飢饉のために、毎日一千名の農民が耕作を放棄して難民となっている。多くの農民は貧困の境界線上で懸命にもがくが、しかし、食糧の徴収は変わらない・・・・・。”
  張高峰:『大公報』重慶版、河南の記者。「豫災実録」で当時の河南省の旱害、蝗害、水害などによる餓死、病死、娘や妻の身売り、流浪等々の「民不聊生(人々が安心して生活できない状況)」や「哀鴻遍野(罹災者の悲しい声がが至る所に満ちている状況)」という惨状を比較的ありのままに報道した。
  王芸生:『大公報』の主編。張高峰の「豫災実録」に心を動かされ、「看重慶・念中原」という評論を書き、掲載した。それが、蒋介石を激怒させ、『大公報』は三日間の停刊を強制され、王本人もアメリカ訪問が取り消された。

【あらすじ】
http://www.asyura2.com/0601/bd43/msg/546.html

【感想】
 近年、中国では無数の小説が出版され、「氾濫成災」となっている。私は元来「本好き」であったが、このような状況にあって「本離れ」になりそうだ。
  そのような時に、親友の摩羅さんが劉震雲氏の小説を推薦してくださった。そして、劉氏の小説を読み、驚いた。あらすじで述べたように、「温故一九四二」では、中国に古くから続いてきた因循と旧弊が描かれている。中国では昔から今まで、政治が全てを凌駕してきた。数百万人の生命は、政府や執政者にとって、利益と直接には関係していない。
  そのため、被災した中国の庶民は、中国の官吏にはいかなる哀願もせず、白い肌の西洋人に会うと、とたんにひざまずき、救済を哀願する。そして彼らは、中国政府が自分の国民には少しも不憫に思わないことについて理解に苦しむが、次第に災害と凶作は完全に人為的で、もし当局が何かしようとするならば、彼らはいつでも飢饉を防止できることが明らかになる。このような状況で、彼らは「少なくとも、彼らを人間のように死去させてあげたい」と活動する。
  劉氏の描く世界を読むと、彼はまさに魯迅的な作家であることがわかる。彼は、「中国式」の重荷と苦痛を負い、小説を書き綴る。魯迅は、かつて「人間を食う人間は、きっと人間を食わない人間に滅ぼされる。ちょうど、狼が猟師に滅ぼされるように。」と書いた(『狂人日記』1918年)。同様に、劉氏は、暗黒の世俗世界に浮沈することを運命づけられた「真的人(本当の人間)」を追究し、描いており、このような意味で一人の精神の探索者である。
  「私の母方の祖母」をはじめとした庶民たちは、飢饉、災難・・・・・などによって記憶が鈍磨している。作者を最も絶望させることは、政府が庶民を愚弄することではなく、庶民が愚弄を追認して受け入れることである。中国の民衆は、既に早くから執政者の無惨な物質的剥奪、精神的「奴才」根性(注)、権力の抑圧、政治の愚弄に慣らされてきた。彼(女)らの全ての想像力は、さらに想像できない最悪の政治的愚弄の到来のために心の準備をするだけである。これはまた、魯迅の「聡明人和(sha3)子和奴才」を想起させる。
  このような劉震雲の批判性には、二重性がある。彼は社会と歴史の非人間的な本質を批判すると同時に、人々が社会と歴史のために構造化したコトバの虚偽性を批判する。劉の小説の対象は、中国民衆の生活史ではなく、中国五千年の殺戮史(自然的、人為的、精神的・・・・・)、精神「奴才」史、民衆死亡史である。
  劉は、他の小説(例えば、『故郷天下黄花』など)でも、人間の心が重大な損害を被り、踏みにじられ、愚弄された後の暗黒、醜悪、麻痺などを明らかに提示した。劉の小説の主題は、世界の最も恐るべき現実は、奴隷主と奴隷が、精神的構造、文化的理想、人間的価値をお互いに緊密に通じ合い、切り離すことができない状態であると示すことである。そして、中国の執政者がますます凶暴残虐に、悪辣に、恥知らずになる原因は、中国人の奴隷性が絶えず悪化していることであると指摘する。
  痛切な感覚と高貴な蔑視と神聖な義憤をもって、劉は中国民衆史の悲劇的本質の「ブラックボックス」を洞察し、解剖し、ひいては人間としての尊厳と生命の意義を問いかけている。


「奴才」とは、「奴材」と同様の侮蔑語、悪事にさえ使われる奴隷根性の持ち主、明清代の宦官、清代の皇帝の旗人官員への呼称、旗人に属する文武官員の自称、旗人の家庭の奴僕の自称などの意味がある。魯迅『野草』参照。

【作者紹介】 劉震雲のプロフィール
  1958年5月、河南省延津県生まれ。
  1973−1978年、人民解放軍の兵役に服する。
  1978−1982年、北京大学中文系で学ぶ。
  1982年文学作品を発表し始める。
  主な作品に、長編小説『故郷天下黄花』、『故郷相処流伝』、『故郷面和花朶』(4巻)、中短編小説『塔鋪』、『新兵連』、『一地鶏毛』、『温故一九四二』、『劉震雲文集』(四巻)などがある。
  彼の作品は、多くの評論で取り上げられ、何度も文学賞を受賞し、また、演劇作品の原作にもなり、さらに、海外に翻訳されている。


【話題の提供】
 2001年9月6日夕刻、北京にて、『藍・BLUE』の同仁四名は著名な詩歌評論家T.氏宅を訪問した。T.氏は、1954年生まれで、82年N.大学中文系を卒業し、詩歌の評論を続けており、詩論集(1989)、詩歌評論集(1994)、詩学論集(2001)などがある。
  T.氏宅には、英国在住の『今天』派代表詩人のY.(1955年B.生まれ、Y.作品1982-1997詩歌巻,1998や、Y.作品1982-1997散文・文論巻,1998など)、詩人・評論家のZ.(1964年B.生まれ、B.大学文学博士、同中文系講師)、米国在住の作家・批評家のX.(1956年、C.生まれ、現在Z.のペンネームでインターネット文学で活躍)がおり、私たちは談論した。
  その中で、Z.氏は「温故1942」とインターネットに掲載された「三代人」という小説を取り上げた。そして、Z.氏は「温故1942」の中で、1943年に日本軍が河南省に来て中国人の命を救ったことについて、当然、日本軍が「軍糧」を配る動機は戦略的意向や政治的陰謀があり、人心を買収するためだが、中国人自身の政府には民衆の災害に対する戦略的意向も政治的陰謀もないのだから、そのような国を売るのはだめなのか、何か名残惜しいものがあるのかと問題提起した。また、彼は「三代人」の中で、登場人物の“私のおばあちゃん”が、その目で見た入城する日本軍の規律と人民解放軍の規律が同じであることも説明した。
  さらに、Z.氏は、従来マスコミが宣伝してきた「抗日戦争英雄」の楊靖宇 (1905-40、中共党員、東北の抗日武装闘争指導者。36年以後、彼の指導した東北抗日連軍が日本軍の攻撃により奥地に撤退し、活動も縮小し、彼自身も吉林省濛江県(現靖宇県)で戦死)たちは、日本軍に殺害されたのではなく、中国人の仲間が裏切り、情報を提供されて殺されたということも語った。その上で、彼は、日本軍の最大の罪悪は、「殺人如麻」、「血流成河」、「三光政策」などの中国侵略などではなく、毛沢東を初めとした中国共産党に専制権力を与えるチャンスをつくったことであるとも発言した。
  換言すれば、殺人文化は中国数千年を貫く伝統で、その土壌が自民族内部の殺人文化をさらに開花させたのである。梁啓超は中国人を「戮民」と称し、中国人は、戦争、内乱、飢饉などのたびに羊や豚のように殺されるのが、歴史的宿命であると指摘した。そして、毛沢東は「政権は銃口から生まれる」というスローガンを唱道し、日本軍の侵略を利用して力量を増大させ、国民党を打倒し、中国の歴史上最も中央集権的な専制国家をつくり、その結果“大躍進”、“反右派闘争”、“文革”などによって数千万の人命が失われたのである。なお、このような談論から、私たちは、今年の3月4日に、北京でQ.教授やL.たちと逢ったときの話題を思い起こした。
  同じ9月6日の夜、B.出版社の若い友人L.さんがコーディネーターとなり、北京の70年代、80年代生まれの“前衛作家”十数人を九頭鳥飯店に集めてくれた。そのグループのリーダーは、B.大学を卒業し、フリーライターとなっているS.氏(26才)である。
  S.氏は、2000年に『下半身』という不定期的な民間詩誌を刊行している。『下半身』の同仁のL.氏やY.氏などは著名で、テレビの“文学新人”番組にも出演しています。そして、彼(女)たちは、そのグループを“飄”一族と自称している。
  確かに、彼(女)たちは前衛作家と見られているが、それはファッションの面で、世間を弄び言動が不遜(「玩世不恭」)で、全てのことに傍若無人のヒッピーを連想させます。
  S.氏は、今の中国政府は昔ほど地下文学刊行物を弾圧していないが、それでも『下半身』は正式出版できず、人目を避けて北京から遠く離れた田舎の印刷会社で印刷し、友人たちに配っていると言った。また、S.氏は、これまで学んだ理論は全て意味がなく、何ものも参考にならないと語った。『下半身』の扉には「編者前言」があり、そこでは「我々は、詩歌の創作には必ず人為的な理論を遵守しなければならないとは思わない。“下半身”は一種の品性と資質であり、このような品性と資質を突出させる(鮮明に際立たせる)のは、詩歌の方法論ではないとも言える。“下半身”は形而下の状態であり、創作のときの肌肉の状態であり、真実で、具体的で、その場で把握でき、意味があり、野蛮で、セクシーで、何一つ遮るものはないとも言える。」と書かれている。
  私たちは日本社会および日本文化について、彼(女)たちがどのように感じているのか、いろいろと質問しましたが、残念なことに“飄”一族全く興味を示さなかった。
  彼らの質問は、去年の中国人乗客が集団提訴した“日航事件”と今年8月14日に小泉首相の靖国参拝問題に抗議して在日中国人が靖国神社南門の石の狛犬に赤い漆で「死ね」と書き、警察に「物件損害罪」で逮捕された事件であった。彼は今“民族英雄”として中国の熱血青年に賛美されている。東大の留学生会のホームページでも、彼のために弁護士を雇うカンパが呼びかけられている。
  私たちは、日本社会についてなるべく丁寧に説明し、いかなる民族主義、国家主義も危険で、それぞれの国民にとって、両国の文化や文学の交流がコミュニケーションの始まりであると言ったが、“飄”一族は、聞いたのか、聞かなかったのか分からなかった。
  その後9月8日夜、Q.大学でT.氏たちと再び談論したとき(メンバーは若干異なった)、T.氏は“飄”一族は小さな才能はある、それはせいぜい「下半身」だと評価した。                     Y.

{編者の言葉}:
   この【話題の提供】は、大変面白く、有意義であるが、万一のことを慮って、一部の固有名詞は出さないようにした。今なおこうしなければならないことが、大変残念である。

♪ ♪  ♯  ♪ ♪

http://tianliang.main.jp/038.html

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ HOME > アジア4掲示板


  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。