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いわゆる平和がもたらされたのはなぜか
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投稿者 隣人 日時 2006 年 9 月 26 日 02:16:32: vTRc6NquZFvI6

(回答先: 「停戦状態」と「休戦状態」 投稿者 隣人 日時 2006 年 9 月 26 日 02:10:31)

カルロ・モラリは、多少の例外はあるものの、第二バチカン公会議以来、「進化論に関する懸念は確かに克服
されてきた」と述べています。意義深いことに、法王ヨハネ・パウロ2世は1996年10月にこう言明しました。
「[ピウス12世]の回勅が出されて以来、ほぼ半世紀たった後の今日、我々は新たな知識に基づいて、進化論が
仮説以上のものであることを認めるようになっている。この理論が研究者たちによって次第に受け入れられて
きたのは実に目覚ましいことである」。

歴史家のルシオ・ビレリは同法王の声明を「紛れもない承認」とみなしました。イタリアの保守系のイル・
ジオルナーレ紙は、「法王によれば、人間の先祖は猿かもしれない」という見出しの記事を掲げました。
タイム誌は、結局、法王の承認は「教会が進化を受け入れたことの表われである」と述べました。

カトリックの指導者たちはどうして、いわゆる「多少なりとも進化論を容認するこうした態度」を取ってきた
のでしょうか。ローマ・カトリック教会はなぜ進化論の教えとの和解を図ってきたのでしょうか。

聖書を「神の言葉」ではなく、「人間の言葉」とみなすカトリックの神学者が少なくないことは明らかです。
(テサロニケ第一 2:13。テモテ第二 3:16、17)カトリック教会は神のみ子イエス・キリストの言葉よりも現代
の進化論者の言葉を重要視していますが、イエスは、「あなた方は読まなかったのですか。人を創造された方は、
これを初めから男性と女性に造(られたのです)」と言って、創造に関する創世記の記述が正確なものである
ことを裏付けられました。(マタイ 19:4)クリスチャンはだれの見解をいっそう重視するに値すると考えるべき
でしょう。

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