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(回答先: ナハマニデス対パブロ・クリスチャニ(1) 投稿者 隣人 日時 2006 年 9 月 05 日 08:52:27)
ナハマニデスが行なえたのは質問に答えることだけでしたが、カトリック教会の立場がユダヤ人
にも、道理の分かる他の人々にもなぜ受け入れられないかを示す強力な論議を展開することが
できました。三位一体の教理に関しては、こう言明しました。「ユダヤ人であれ他のだれであれ、
知性に従う人は……天地の創造者がユダヤ人女性の胎を経て……後日、敵の手に渡され、その敵
に……殺されたというようなことを信ずるわけにはゆきません」。ナハマニデスは簡潔にこう
述べました。「あなた方の信じている事柄は、あなた方の信仰の根本ですが、[合理的]思考には
受け入れられるものではありません」。
ナハマニデスは、今日に至るまで多くのユダヤ人が、イエスはメシアかもしれないと考えること
をさえ阻んできた矛盾の一つを際立たせ、教会の甚だしい血の罪を強調して、こう言いました。
「預言者は、メシアの時代に……彼らはその剣を打ち変えて鋤となし、その槍を打ち変えて刈り
込み鎌となし、国は国に向かいて剣を上げず、もはや戦いのことを学ばざるべし、と述べています。
そのナザレ人の時代から今に至るまで、暴虐や強奪が世界じゅうで起きています。[実際]、
クリスチャンはほかの諸国民よりも多くの血を流しており、また不道徳な生活を送っています。
彼らがもはや戦いのことを学ばなくなるとすれば、我が主なる国王や国王のこれら騎士たちに
とって何と難しいことになるのでしょう」。―イザヤ 2:4。
4回目の討論の後、国王は討論の終了を告げました。そして、「間違ってはいても、あなたの
ように見事に論ずる人を見たためしがない」と、ナハマニデスに語りました。アラゴンの国王
ハイメ1世は、自由に話すことと安全を保証すると約束した通り、300ディナールの贈り物を持
たせてナハマニデスを帰宅させました。ナハマニデスはヘローナの司教の要請を受けて、その
討論の内容を文書にまとめました。
ドミニコ会側は圧勝したと宣言しましたが、明らかにろうばいしていました。そして後日、その
討論に関するナハマニデスの著作を証拠として利用し、教会を冒とくしたかどでナハマニデスを
告発しました。ナハマニデスに対する国王の処遇に不満を持っていたドミニコ会側は、教皇クレ
メンス4世に上訴しました。ナハマニデスは70歳を超えていましたが、スペインから追放されました。