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(回答先: “右”のマスコミ批判だとこんな感じ? 投稿者 横路美菜 日時 2005 年 11 月 05 日 11:20:03)
…神々の国:日本
「日本史の三悪人」
とは、足利尊氏・平将門・弓削の道鏡のことです。
何故・三悪人とされたかと言いますと「天皇に反逆」したからです。
室町幕府を開いた足利尊氏を除いて、将門は「神田明神」(東京都千代田区)に、弓削の道鏡は「金精神社」(奥日光の入り口・群馬県金精峠)に祭られています。
「謀反人を神として祭る」 国は
世界広しと言えども、日本だけでしょう。
本当の理由は 「祟りが恐いから!」 なのですが、生前は敵対した相手でも死んだ後は神として敬う日本人の習慣・伝統は大切にしたいものです。
日本には八百万の神(やおよろずのかみ)と申しまして、沢山の神様が居ります。「競馬の神様」「サッカーの神様」「ストリップの神様」までいるのです。
これを 「多神教」 と言います。
昔は世界中どこでも多神教だったのです。
人々は自然と共に生活し・自然の中に神の声を聞き、五穀の豊饒と種族の繁栄と死後の再生を神々に祈る生活をしていました。日本の最高神が”天照大御神”であるように世界でもこの時代は女神が多かったのです(エジプトではイシス神:ギリシャではヴィーナス・デメテルなど)。
しかし、紀元前1000年頃に東地中海周辺では ”ミュケナイ文明の崩壊を始めとした大変動の時代” に突入し、前922年”イスラエルとユダの分裂・前9世紀〜前8世紀には”アテネ””スパルタ”などの多数のポリスが成立しました。この時代に発明されたのが
「アルファベット」
だったのです。
たしかに英語などはわずか26文字で全ての言葉を表すことが出来、頭の中にある概念を浮かべるのが楽になり・知識の蓄積には便利なのですが、大変なものを失うことになったのです!
それ以前の世界では人々は
右脳 で ”神々の声” を聞き、
左脳 で ”人間の言葉” を操っていたのです。
ところが言語脳の発達は「人間の内面世界」の発見へと導いたのはいいのですが、今まで自然に行われていた ”神々の声を聞くこと” が失われたのです。
その結果
「自分で総合的に判断すること」
「論理的思考によって、あらゆることを検討して決断すること」
が失われ、
「見せかけだけの博識家」 や 「知者を気取る自惚れ屋」 がはびこることになったのです(古代ギリシャのソフィストなど)。
そして奴隷制度の下で抑圧・差別される人々や誠実に生きながらも社会的に恵まれない人々の間に解放と救済への期待の声が高まって来ました。それと同時に”沢山の神々を唯一神に集約して行くこと”が成されたのです!その訳は道徳的生活や禁欲主義を切望すればするほど、その訓戒を支える絶対的な権威(超越神)が必要になって来るからです。これが
「一神教の誕生」 です!そしてこれは必ず男性神です。
何百・何千にも及ぶ文字を30にも満たない表音文字で表す作業と
たくさんの神々を唯一神に集約してゆく試みが
同時に行われたのです!
この「文字と神の単純化」は
人間の精神に大変な革命を起すことになりました!
「多神教の世界」では様々な自然現象を神々の顕現と思い、恐れと畏敬の念を捧げて来ました。しかし「一神教の神」は”他の神々を拒否し・全ての現象の原因は自分一人にある”と説いたのです!
一神教は元々虐げられ・抑圧された被差別民の宗教ですので、不正に憤り・抑圧した者に復讐する・全能にして唯一無二の神が崇められるべき神になるのです!
差別され・抑圧された者は、それまでの恨み・辛み・嫉妬からそれを埋め合わせようとする意識が強く、結果として全知全能の神という観念に共鳴するのです。
そして他の神々を否定し・唯一神と契約し・抑圧と差別からの解放を目指すことになります。
Blogfreak
「多神教の神々」は
時々・姿を現す程度で、あまり人間の所業に関心を持っていませんでした。せいぜい人間に”正しく振舞う”ことを求めるぐらいで、「社会のルールを守ってさえいれば」よく、人間の心の中はどうでも良かったのです。
しかし、 「一神教の神」は
絶対に姿を見せることはなく、排他的で・人間の所業ばかりか人間の想念の内にさえ立ち入って来るのです!(内なる世界への干渉)
例えば
姦淫するな!
淫らな思いで他人の妻を見るな!
とさえ言うのです(ユダヤ教・キリスト教の神)。
元来「性道徳」というものは”外見上の態度や行動”を律すればよく、心のあり方まで立ち入るのは行き過ぎです!
更に近代では、ドストエフスキーの長編小説「カラマゾフの兄弟」で次男のイワンが
「神が存在しなければ、人間にはすべてが許される!」
と言っているような極端な宗教まで現れました!
言うまでも無く、「 共産主義 」です!
彼らは神を否定し・自分自身が神になり、
何の良心の呵責も無く・無慈悲に全世界で1億人以上もの無辜の人々を殺戮しました!
1991年のソ連社会主義の崩壊によって一旦は消えたかに見えた一神教的・専制支配が現代では復活しようとしております!
歴史には一つの真実しかないのではなく、多数の真実があるのに、
自国の歴史を他国に押し付ける国があります。
かつては「国の検閲を非難していた」日本の左翼が今は
「歴史教科書は、”中国・韓国の検閲”を受けよ!」
とまで言い張っております!
まったく矛盾もはなはだしい!
そして”信教の自由・良心の自由”を侵害する「男女共同参画社会基本法」「ゲシュタポ法:人権擁護法」
あまつさえ「本の唯一の読み方」を強制してくる人も居る!
「一神教」 とは
自分以外の神々を敬うことを禁ずる 排他的な宗教 です!
「多神教」 とは
あらゆる神々と共存する 寛容な宗教 です!
英語のアルファベットは26文字しかありませんが、
日本語は、ひらがな51字・カタカナ51字・常用漢字1850字(英字を加えれば更に多くなる)もあります。日本人はこれを縦横に使いこなすことによって感性を豊かにし・文化の多様性と異文化への寛容性を身につけているのです。これが多神教の文化の素晴らしさです。日本の歴史上に独裁者がほとんど現れず 「和の国」 と言われるのはこのためです。
日本の神道(神社)は自己主張がなく、来るものを拒まない 平和的な宗教 です!なにしろ朝敵でさえ神社に祭っているのですから!
日本人はこの古き良き伝統・宗教観をいつまでも伝えて行くべきです!
「寛容な宗教施設に参拝するな!」
ということは
自分自身が「排他的である!」
ということの証明です。…