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(回答先: 苦の 投稿者 泉(徹しュ、奥深く、穿つ) 日時 2005 年 4 月 24 日 01:09:30)
宇宙にもし普遍の原理が在るとするなら、私は<その物質の本質的な質量は変わらない>と思っています。膨張、収縮があったとしても変わらないのであると。
そして、時間を組み入れた時にその物質に変化が見られるのですが、その方向性とは直線のようで実は、円を描いてるのではないかと思っています。
拡大してみれば見るほどカオスであるが、実は離れて見ると調和しているのでは。
複雑性を求めるから渾沌に陥るのであって、一貫性を求めれば平穏が訪れるのであると。
これが、現状の私が言える事です。悟っているつもりも在りませんし、正しいかどうかも解りません。もし間違っていれば私は考えを改める準備もあります。なぜなら自分が全てではなく、小さな存在だという事を知っているからです。
もし、思考の上で結論が出ようが、生きている限りそれは終わりではなく、始まりです。
この事は続けられるのであって、終わりはないと思っています。 それが生であり、停止は死であると。 留まる事はできないのです、生きている限り、。
そして、個の内において人は限り無く自由であるのだと、。
様々な選択の結果が現在であり、もし体に異常が認められるのであれば自分の内に在るその問題にもどり、解決しなくては解消しえないのではと思います。
自己の矛盾、精神と身体の違いが問題であると、。
すみません。こんな事しか今の私には言う事ができません、。