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(回答先: サラさんとワヤクチャさんは、デカルトに思い入れが深いようですが。 投稿者 際限の無い変容、メタオンナが、刑事ル、と。 日時 2005 年 4 月 11 日 06:35:20)
言葉遊びになってしまうかも知れませんが、確かに今の世の中には、善と悪の2つで言いえない事柄が多くあります。
私自身が述べた上で言いますが、2元にしてしまう事こそ争いの元になるのでは、、。
善の内に悪を含み、悪の内に善を含む。そして、両者の間には限り無いグレーのグラデーションが存在し、そのグレーこそが重要であると、、。いかに在るべき道を探すならば、バランスを保つ事が良き道なのでは、、。その為に両者が存在するのかと思います。
そして、私達はその三元を内に含み、実践する者であると。
この事は全てに対して言える事で、私達が認識する全てのものは、実は1つなのでは無いか、三元の球体なのでは、、。
過去の哲学では言い表せない矛盾が、現在の倦怠、停滞、悩み、問題であると考えます。
三元の考えの発展型として、あなたは私(自己)であり、又私はあなた(対象)であるのではないか。全てのモノを1とする考え方が、これから求められていく、あるべき思想なのではと思います。