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(回答先: 言い忘れました。輪廻転生 投稿者 サラ 日時 2005 年 4 月 05 日 00:55:31)
入水自殺したある方の霊が人に憑依して、何度も苦しみを訴えてくるのを目の当たりに
した経験から申し上げますと、その方の場合、肺に水が入って苦しんでいるそのままの
状態で真っ暗闇の中で恐怖し苦しんでいました。「もう肉体はないのである」ことを
理解し、恐怖はないということをお経を何度もあげて理解していただくにつれ、泣き声
や咳のような音が消えて、苦しい、苦しいと何年も前に死んだときと同じ状況で訴えて
いたのが徐々に落ち着き、やっと憑霊した近親者の方の肉体を離れましたが、2ヶ月以上
の大変な闘いでした。自殺しても、心の苦しみ、自殺した時点の恐怖と肉体上の苦痛は
念として残っているケースが多いとのことです。地上の苦しみをそのまま自殺した後も
解脱できず、霊界の高いレベルに移行することもできず、自縛霊として残ってしまうの
です。だから、自殺は肉体生活上の苦しみの解決にはならない上、肉体を持って地上に
生まれてきたのは、「神」または「宇宙」と契約し、業を解消し、魂を磨き、愛を出す
ためというこの世に転生してきた使命をまっとうしないことになるのです。そんなこと
個人の選択の自由だと言われればそうかもしれませんが、私の身近に自殺をしようとし
て苦しみぬいている人がいれば、誠心誠意そのことをお伝えするつもりです。私自身、
燃え尽き症候群といううつ病で苦しみ抜いて、死を考えたこともありましたが、「自殺
しない理由」をあえてのべろ、とうつ病の人、現在死を考えている人にいえることは、
この一点だけです。これが宗教的に私の言える、唯一の理由です。
また、補足として、業の法則ですが、善業にしろ、悪業にしろ、現世上で与えたものが
現世上、与え返されることもあれば、過去世から引きずってくる深い業というものもあ
ります。
業は必ずしも、与えた相手から返ってくるとは限りません。すぐということもありませ
ん。殺人をした人は、殺された人に、あるいは誰か別の人に殺されたからそういうこと
を繰り返す、というわけではありません。それは許されません。しかし、人を殺した
ら、または、人を斬ったら、いつか自分が、同じ苦しみを別の形で受ける、これが業の
法則です。これが、儀式殺人にしろ、どんな殺人にしろ、犯してはならない罪をおかし
た時に、いずれ返ってくる業の結果となるのです。それなら、第三者たる私サラががた
がた、糾弾する必要はないではないか、と問われそうですが、「命」という問題を考え
るとき、これは宗教を信じる人間として、他人の「命」を奪ってはいけないのだ、とい
う至上の命題、絶対的規範として、まもらねばならぬという信念があるために、訴えて
いるのです。そこに「合理性」その他の判断は入る隙はありません。「不殺生」とは
そういうことだと思うのです。だから、条件付で人を殺してよい、戦争をしてよいとす
る宗教など、似非宗教である、それを言う人間は似非宗教家である、と私は思います。
したが、