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(回答先: サラへ。(また判りにくかったらゴメンな) 投稿者 サラの闘いに、闘いを贈るような僕だけど。 日時 2005 年 3 月 08 日 02:33:12)
(想念で気になって書いてくれたらしい
2通目に答えておこう)
トラウマを生んだ
表層の事象の前に、
さらに恐怖の悪あがきが
あり、何人が僕を「悪魔」と見做した‥‥。
では、その恐怖の悪あがきはどこからくるのか。
もともとは親との関係だろうが、よく判らない‥‥。
“心の無い”僕のことを、親が「悪魔」を被っているように
云ったと思うが、けっきょく、その「事実」さえも、後に
なると認めようとはしてくれなかったはずだ。
恐怖の奥には、イジメ体験もあれば、挫折体験があり、
同時に、それが、親の不信を決定的なものにしたのだろうな。
しかし、そうした適応できない状況というのは、
社会の枠組みと僕との関係の問題なのだと思う。
その社会の枠組みは人間が決めたことのはず。
誰か人間が決めたことで僕が排除されたらしい。
それとともに、人間が決めた小さな成功を、僕もまた
追いかけて得られなかった、ということのようだ。
成功報酬(決めたことを守れたら、
名誉と給与と幸せを与える、という社会の
連動の仕組み)から突き放されたかもしれない。そういう「社会的な価値」を
巡る闘いの敗残者だったと思う。そんなことを自認する必要は無くても、
目指した「利益」を得ていないのであれば傷にもなろうな。
ゆえに、傷には結局、空虚な社会が影を落としていそう‥‥。