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(回答先: 燃える雨2(「ファルージャ 隠された大虐殺」日本語訳) 投稿者 らくだ 日時 2005 年 11 月 13 日 15:36:16)
↑この番組にも協力したジャヴィエ・コウソ氏のインタビューです。
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僕はファルージャにいた(BellaCiao)〜米兵に狙撃されたスペインTV局員の兄弟
ジャヴィエ・コウソ、バグダッドのパレスチナホテルで米国人に殺害された
スペインTele5カメラマン ホセ・コウソの兄弟がファルージャを訪れた。
アメリカによる爆撃と残敵討伐で5万人の市民が死亡した受難の町で、化学兵器
使用と人権に対するシステマチックな暴力行為の証言を収集した。
ジェンナーロ・カロテヌート(Gennaro Carotenuto)によるインタビュー
フランシスコ・フランコ出身の港町、ガリシア州エル・フェロールの軍人一家に
生まれたジャヴィエは、武器や戦争の実態を驚くべき正確さをもって描写する。
バグダッド占領の前日にパレスチナ・ホテルで仕事をしていた兄弟ホセが殺された
あのイラク戦争は、ジャヴィエの人生を変えた。
ジャヴィエは、ホセ・コウソとターラス・プロツィクが命を失ったパレスチナ・
ホテルの事実について、反論の余地なき証拠を提出できる。 「Go to the
journalists」の命令を受けた米軍小隊が、アルジャジーラ、アル・アラビヤ、
次いでパレスチナ・ホテルを攻撃したあの朝の証拠だ。
RaiNews24 のドキュメンタリーは、ジャヴィエが耳を傾ける者には誰でも語って
きたことを視覚的に裏打ちするものだ。 イラクのゲルニカを訪れた数少ない
欧米人で、戦前は人口35万だった町の住人が5万人殺害されたと信じているひとりだ。
4月の訪問に遡る。 「(ファルージャ入りは)容易ではなかったけれど、
我々の決意は堅く、目的を果たしました。 医薬品を運びました。 町では戦闘が
続いており、我々のいる間にも海兵隊がひとり戦死した。 家々、モスクが全壊
状態でした」。 戦争中でも宗教的場所への尊重は保証されてきた。それが破られる
時は、野蛮性の現れと考えている。 「しかしイラクにおいては、モスクは最初から
純粋な敵とみなされていた。 私には正に妥当な選択に思えます。その国で紛争を
誘発するためならね」。
スペイン人7人のグループがイラクを通過するのは容易ではなかった。
「しかしイラク人は、みなが西洋人の見分け方を知っているにも関わらず、我々を
抱擁とキスで迎えてくれて、スペイン軍撤退を感謝していました」。 ”100%”が
レジスタンスと言われるバグダッドのアダミア地区では、「最初は我々に敵対心を
向けたが、みんなが私の兄弟のことを知っていたためよい待遇を受けたと思います」。
Manifesto紙のズグレーナ記者ほかの西洋人とは違った経験だった。 「さあ、
ジュリアーナ(ズグレーナ)を誘拐したのは誰で、どんな利益があったのでしょうか?
米兵に惨殺された一家の女性たちは強姦されていた。 揺り篭で蜂の巣状態だった
幼子、降伏の白旗をあげて逃げる間に狙撃された人々、占領軍が埋葬せずに何日も
何日も放置した遺体に犬がむらがる・・我々はこのような証拠を持っています」。
ジャヴィエの証人たちが語る真実は、ナチ占領下の東欧の証言に匹敵する。
ジャヴィエは化学兵器・ナパーム・白リン弾が使用された証拠と、町に蔓延する
奇病の症例を集めに回った。 「ヨラン(Jolan)地区は95%が破壊された。しかし
普通の破壊ではありません。 石は粉々、瓦礫ではなく粉。 どんな強力な
兵器を使えばこんな状態まで破壊できるのだろう? みなが、特に蒙った人、
生き残ったのに病気に苦しめられている人々が化学兵器と言っています」。
ジャヴィエにとって耐え難い苦痛はこれで終わりではない。 生存者に対する
屈辱が絶え間なく続く。 「損傷を受けずに残ったある学校は占領された。
そして子供たちは、その学校のまん前に張られたビニールシートの下で勉強
させられているのです。炎天下にね」。 医療施設も破壊され、今も存在しない。
「私の目の前で、22歳の青年が軽い呼吸器の発作で亡くなった。必死で医者を
探した。もし酸素ボンベがあれば助かったのに・・これが最も辛い体験でした」。
コウソによると、システマチックな占領はまさに病院から開始されたという。
「証言は、病院に押し入ってきた彼ら白人は、人を殴りながら片っ端から
盗んでいったと言っている。 医師と看護婦を一箇所に集めて手を縛り、
頭を地面につけさせ跪かせたままで一晩放置したと言っている」。 ジャヴィエ・
コウソが集めたこの証言は、さらに残酷な事にもなりうる。「少なくとも8日の
間、どの病院もどの救急隊もどの医療センターも、負傷者の受け入れを許され
なかった。すべての負傷者に赦免が与えられたか、失血死するまで放置された
ということになるでしょう」。 世界に配信した映像も、即座に使用不可と
なったという。 「アメリカ人は否定しません。単純に、彼らの戦闘ルールに
よると、妥当な方法を用いていると主張します。 私が思うに、ナチスと同じ
戦闘ルールを適用しているのでしょう」。
05年11月9日
http://bellaciao.org/it/article.php3?id_article=11073
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ズグレーナ氏の父はレジスタンス戦士だったとのこと。
娘さんが誘拐犯から解放された直後に米軍の射撃を受けて負傷したニュースに
対し、「戦時においては誰もが、たとえそれが間違っていても、国のために
命すらかけることを知っている自分は、彼らの行動もまた理解できると思う」と
コメントしていました。