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燃える雨2(「ファルージャ 隠された大虐殺」日本語訳)
http://www.asyura2.com/0510/war76/msg/103.html
投稿者 らくだ 日時 2005 年 11 月 13 日 15:36:16: bZcL6nRNDZWPQ
 

フットボールは未来の兵器である・ブログより

http://www.doblog.com/weblog/myblog/7844/2043448#2043448

以下、先のエントリーにて紹介した番組の日本語訳(ゆっくすさん訳:リスペクト!)。

※正確でないところ、要約になっているところが多いです。 だいたいの意味として読んでください。(本人談)

ベトナム戦争でのアメリカ軍によるナパーム弾使用の映像。映像が世界をかけ巡り実体を伝えることによって、ナパーム弾の非戦闘員に対する使用を国連が禁止することにつながった(1980年)。)

今回は、我々の時代に行なわれている戦争についてお伝えします。
この戦争は、誰も目にすることができません。アメリカ人がファルージャで行なった戦争です。

イラクでの戦争は、現在進行形で記録され世界が見ることができた初めての戦争だと言われてきました。

けれども、これは嘘でしかありません。一方のみの視点から、鍵の穴を通して見たものでしかないのですから。

タイトル「ファルージャ 隠された大虐殺」

元アメリカ兵士ジェフ:
「私は、作戦「夜明け」において指揮官がファルージャに入る際の護衛に関わった。
ファルージャの戦闘地域に入る際、歩いている人、話している人、息をしている人は一人残らず敵の戦闘員だ、と指示された。すなわち、道を歩いてる人も家の中にいる人も全て標的だった。」

インタビュアー:
「10歳の子どもも撃て、と命令されていたというのは本当ですか? 」

ジェフ:
「初めてイラクに到着した頃の軍の基準では、成人男性(18歳〜65歳)が敵戦闘員とみなされ得る、とされていたが、ファルージャに行った頃には、どんな男でも全て攻撃の標的とすることになった。実際、10歳くらいの子どもが戦っていることは数多くあった。」

インタビュア:
「ファルージャでの戦いの現実をどう表現しますか。」

ジェフ:
「ただ、アラブ人を大量に殺していた。大量の殺人だ。」

我々は、この大量殺人を全く目にすることができなかった。
ファルージャにやってくることは危険だった(?)。何か知っていることを示したら。警察は去年の3月に二人のジャーナリストを逮捕した。フリーランスジャーナリストのアンソー・バルデューニ(?)は殺された。その前の数週間、ファルージャの取材をしていた。ファルージャの難民について調査していたIl Manifesto紙のGiuliana Sgrena記者は誘拐された。

インタビュア:
「ファルージャについて具体的な情報を収集しましたか。」

Sgrena記者:
「ファルージャについてだけではありません。2003年4月の空港での戦闘の際にナパーム弾を含むいくつかの兵器が使用されたことについて、バグダッドの住民から話を聞きました。
その後、ファルージャの住民達から、白リン弾の使用について聞きました。
何人かの女性達は、家に入ろうとして、家中がほこりのような粉だらけであるのを見つけました。アメリカ人は、そのほこりはとても危険なので洗剤できれいにするように、と彼女達に言いました。実際、体に影響が表れました。出血や他のおかしな症状です。私はこれらの人達をインタビューしたいのですが、残念ながら私を誘拐した人達・・ファルージャの抵抗組織だと言われています・・は私を誘拐することによって私がファルージャについて知ったことを伝えることを禁じました。
この戦争は、目撃者(証人)があってはならないのです。なぜなら、この戦争は嘘に基づいているから、目撃者の存在は許されないのです。 アメリカ軍は、自分達と同行した記者しかファルージャに行くことを許しませんでした。にもかかわらず、例えばファルージャのモスクで負傷している非武装の兵士を撃つ兵士の映像が公開されました。この映像が流出し・・どのように流出したのか誰も知りませんが・・世界中に流されたことで、この記者はすぐに軍の同行から除外されました。 」


Occupation WatchのGasparoliさん:
「あるインディペンダントな記者が1月にファルージャに到着し、10日間滞在して人々をインタビューし映像を撮り、その後イラクとヨルダンを去ってアメリカに行きました。ホテルに泊まってビーチに行き、部屋に戻るとドアが破られ、ファルージャで撮った映像が含まれているテープのみが盗まれていました。記者の名前はマーク・マニック(?)です。これは、ファルージャで実際に起きていることを伝えないための企てだと見ることができます。」


ファルージャはアメリカによる占領に対して最も敵対的な地域の中心にある。
イラクの国連事務所U.N.A.M.I.に寄せられた2005年1月の日付の報告書(当時は秘密とされていた)では、この街の破壊の様子は「ショッキングだ」と述べられている。
約37000の家が破壊された。
アメリカ軍が赤い×マークを付けた家は消毒されている(?)。
死者の人数の公式な発表は未だされていない。(?)。

アメリカのジョン・サトラー(?)将軍は11月18日に「私は、非戦闘員の死傷者がいるとは一切認識していない」と言った。けれど、攻撃の後数日に渡って撮影されたこれらの映像は、彼の言うことを反証しているように思われる。非戦闘員の死傷者は何百人もいた。この地域で生きることは難しいことだった。降伏の白い旗を振っても撃たれた。逃げることができた者もいれば、逃げられなかった者もいた。


女性:
「この小さな男の子は脚を失いました。負傷したのです。この子はムジャヒディン(ジハードの戦士)でしょうか?彼は、ザルカウィでしょうか? 」

男性:
「これは私の息子です。4月のアメリカによる爆撃の後、彼の体は変わり始めました。」(この後不明)


ムハメッド・ハディード(?)医師と彼のチームはアメリカによってファルージャに入る権限を与えられました。死者を特定し埋めるという耐え難い任務を負って。
非戦闘員の死体は、イスラム教のロザリーをまだ握っていたり、奇妙な怪我のあるもの、骨まで焼かれているもの、肉から皮膚が垂れ下がっているもの等があった。
顔も体も文字通り溶けていた。

【10分】

奇妙なことに服は損なわれていなかったので、防弾チョッキを着ている反乱軍と非戦闘員を容易に区別することができた。
動物の死体もあった。
映像は、バグダッドのハッサン・ナオミ(?)の体から障害物(拘束具?)が外されるところも映している。彼は、、ファルージャの抵抗組織に近すぎるという理由で、アメリカ軍によって訓練された新しいイラク軍に逮捕され負傷させられた。ナオミは死んでいるところを発見された。体には拷問の跡がある。いくつかの中東の国の秘密情報機関が情報を得るために行なう拷問と同じやり方だ、という人もいる。

Mohamad Tareq al Derajiはファルージャで2004年に設立された(なんとか)という人権団体の指導者だ。モハメッドはEUに招かれた。
(モハメッドの話)

出席した議員は期待されていたより少なかった。

モハメッドは、PCを開いてファルージャのある被害者の映像を見せた。熱で顔が溶けている。

イインタビュア:
「どんな状態の死者を見ましたか。 」

モハメッド:
「様々です。子ども、女性、若者、年寄りなど。目撃者によると、アメリカ軍の攻撃によっていろんな色の火のシャワーが降り、その後、その場所の人間は全員死にました。 」

インイタビュア:
「なぜ、爆撃はそんなに激しかったのでしょう。 」

モハメッド:
「アメリカ人は、敵対者を捕まえたいんだと言う。攻撃の後、アメリカ人は市内に入れなくなった。けれども、アメリカ人は別の理由を言う。ファルージャを攻撃し続ける。ザルカウィと助手を殺すために百以上の家が破壊された。私はファルージャに住んでいるが、『ザルカウィを見た』という人に会ったことがない。ザルカウィはどこにいるんだ?百以上の家を破壊したのに、どうしてまだザルカウィを殺せていないんだ? 」


デンバーから約150キロ西にあるコロ(なんとか)は、イラクのほとんどの兵士を送り出している所である。

ここで二人の海兵隊員ジェフとギャレットに会った。彼らはイラク戦争についての情報を提供するインターネットサイトを運営していたが、シークレットサービスがこれを見つけたとき、すぐに閉鎖された。彼らは、ファルージャで撮った映像を見せてくれた。

インタビュア:
「ギャレット、あなたは非戦闘員を撃ったことはありますか? 」

ギャレット(元アメリカ兵士):
「はい、あります。 」

インタビュア:「いつですか。」

ギャレット:
「イランの様々な場面で。もっともよく覚えている場面では、たくさんの銃撃があったので実際に誰がどの非戦闘員を殺したのかは分からないが、結果的に非戦闘員を殺した。警察が攻撃されていたので、我々はそれを守ろうとした。その攻撃の際、非戦闘員が殺された。彼らは、危険な場所から逃げようとして、車をハイスピードで運転して我々の方にまっすぐやってきた。我々はパニックの中、車をマシンガンで撃った。車の中に非戦闘員の死傷者が出た。路上にも。隠れようとしていた人達にその車が突っ込んだので。これは、私が目撃した死の中でも最もつらいものの一つだった。
これらの殺人によって、文章を書き自分を表現したいという気持ちがますます強くなった。文章を書き、アメリカ人にイラクで実際のところ何が起きているのか知らせることで、何か良いことをしている、と感じた。 」

インタビュア:
「ジェフ、あなたは2004年11月の攻撃に参加しました。最もドラマチックな攻撃です。化学兵器はファルージャで使われましたか? 」

ジェフ:
「アメリカ軍側から?もちろん。白リン弾。ナパーム弾が使われた可能性もあるが、使われたか使われなかったかは知らない。白リン弾が使われたことは知っているが、これは疑いようもなく化学兵器だ。 」

インタビァ:
「使われたことは確実か?」

ジェフ:
「はい。」

インタビュア:
「なぜ確信できるのか?」

ジェフ:
「一般の伝達事項として無線で流されていた。こういうことが起きるといつも無線で伝達される。私達はトラックにスピーカーを付けて無線の伝達事項を聞いている。こういう風に言っていた。
『ウィスキーピー(ウィスキーのおしっこ)を5滴落とす』『ラジャー』。
これは爆撃のことだ。ただ無線で流れてきたんだ。ウィスキーピーというのは軍のスラングだ。 」


アメリカ当局の主張とは反対に、白リン弾は敵軍を照明で照らす目的のみに使われているのではなかった。11月8日夜にアメリカ軍のヘリコプターからファルージャに向けて火の雨が降っているこの映像は、化学兵器がファルージャで大量かつ無差別に使われたことを証明している。
その後、アメリカの衛星から撮影された映像は、ファルージャの街が根こそぎ破壊されている様子を示している。


ジェフ:
「弾頭から出るガス、つまり白リンは、散って雲のようになる。そして、皮膚に触れると、取り返しのつかない被害が生じる。肉が骨まで焼ける。服は必ずしも焼けないが、服の下の皮膚は焼ける。だから、防御マスクは役に立たない。マスクのゴムを通して顔まで届くから。呼吸したらのどと肺に水泡ができて息ができなくなり、体が内側から焼ける。白リンは、基本的に皮膚、酸素、水に反応する。湿った泥を使うことによってのみ焼けるのを止めることができるが、基本的には止めることは不可能だ。 」


インタビュア:
「これらの兵器の効果を見たことはありますか? 」

ジェフ:
「はい。焼けた死体、焼けた子どもや女性です。白リン弾は無差別に殺します。雲状になって、たいていの場合150メートルに渡って影響を及ぼし、その範囲に存在する全ての人、動物を焼きます。 」


【20分】

いくつかの映像は、モスクへの冒涜、壁やコーランに描かれた黒い十字架を映しています。

インタビュア:
「これについて何か知っていますか? 」

ジェフ:
「一年に渡って戦闘に関わってフラストレーションをためているアメリカ軍の兵士たちが、文化破壊行為を行うことになんのちゅうちょもないだろうことは、疑いない。無差別の文化破壊行為というのは、よくあることだ。バビロンの古代建築物、歴史的遺跡の壁にだって彫った跡がある。こういう壁に兵士が『ハロー、ママ』なんて彫るのはとてもよくあることだ。アメリカ軍、特にフラストレーションを抱えている兵士には、他者を尊重する気持ちが欠けていると思う。
私自身は、モスクを冒涜する行為を目撃していない。(なんとか)はその点をよく抑えていた。けれど、いくつか話は聞いた。サマラ、バグダッド、ミズーオ(?)などでモスクが攻撃されたり冒涜されたり、コーランが破損されたり。よくあることだ。 」

インタビュア:
「選挙の結果、ブッシュの勝利が確定するまでファルージャへの爆撃を待った、というのは本当ですか? 」

ジェフ:
「その質問をしてくれて嬉しい。それこそが、まさに起こったことだ。兵士だって何が起こっているかはわかっていた。アメリカの選挙が終わるまで待ってからファルージャに入る、と指示された。既に作戦の準備は全て整っていて、行く準備はできていた。選挙が終わるまで2〜3日待った。そして、ケリーとブッシュが接戦だとわかると、何人もの高官が早くファルージャに入りたくていらだっていた。2000年のゴアとブッシュのときに結果がわかるまで一週間ぐらいかかったが、あれがまた起きて欲しくない、と思っていたんだ。
ケリーが敗北を認めたら、一日のうちに作戦は開始された。
私達は、選挙が終わるまで待った。私達は、選挙が終わってからファルージャに入るようにペンタゴンから直接指示された。そして、それがまさに私達のしたことだ。 」


アリス・マホンさんは1987年から数ヶ月前までイギリス議会の代議士だったが、辞任を決意した。
アメリカ軍が化学兵器を使ったかについての国防省の情報に関する、イギリス国会の調査がなんとか(?)。
国防省は、何回か「知らない」と答えることで済ませようとした後、2005年6月13日付けの文書で以下のように答えた。「アメリカは、ベトナムで使い残したナパーム弾を2001年に全て破棄したと主張している。けれど、2003年の海軍などの報告は、アメリカがMK77を使ったことを示している。MK77 の成分はナパームと同じではないが、同様の破壊的効果を持っている。ペンタゴンは、非戦闘員がいる地域ではこれらの兵器は通常使用されない、と言っている」


マホンさん:
「私は議席を失ったのではなく、自らの意思で辞任した。私達に全く害を及ぼしていない人達に対して非合法で血まみれの戦争を指揮している政府の、一部になりたくなかったから。戦争、イラクへの爆撃が始まったばかりの頃、アメリカ軍はナパームに類似した成分の兵器を使ったことを認めた。私の質問に対してイギリス政府は、その点は認識していない、と答えた。けれど、言われたことを全て信じているわけではない。私が議会から辞任した後も調査は続行されて、数ヵ月後、国防省の大臣自身から返事があり、イラク爆撃においてナパームに類似の成分を使った兵器が使われたと認めた。 」

インタビュア:
「国連の条約がナパーム弾を禁止しており、アメリカもそれに署名している。MK77とナパームの違いは大きいですか? 」

マホンさん:
「いいえ。人に対して使われると、全く同じ効果を持っています。人体を焼いて破壊し、溶かします。全く同じ効果を持っています。名前がちがうからと言ってなんの意味があるでしょう。
アメリカも私達の政府も間違っています。けれど、この戦争では国連が何回も繰り返し無視されてきました。 」

インタビュア:
「アメリカは、なぜ、これらの兵器を減少させる条約に署名しないのでしょう? 」

マホンさん:
「アメリカは自分たちの権利や責任について世界中にお説教し、国連が言うことにもうるさいです。もちろん、国連決議に従わなかったことについて、イラク政府に対しても言うべきことはたくさんあります。」

インタビュア:
「この戦争は大量破壊兵器を見つける目的で始められました。それなのに、アメリカによって化学兵器が使われる結果となったことは逆説的ではないですか? 」

マホンさん:
「もちろん。この偽善はひどいものです。大量破壊兵器はありませんでした。誰に対しても脅威ではない、背骨の折れた(すっかり力が弱まった?)独裁者がいるだけでした。私の意見では、アメリカはこの地域の石油を支配したかったのです。
けれど、アメリカとイギリスはこの戦争について何も隠すことはできないでしょう。事実は明らかになり、ブッシュと私達の首相は全てを白日の下にさらされるでしょう。 」

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オレも私達に全く害を及ぼしていない人達に対して非合法で血まみれの戦争に強力している政府の、一部になりたくないし、支持もしたくないし、それを支持している人たちの一部にはなりたくない。


イラクへの自衛隊派兵を進める小泉政権を支持する人間どもは、白リン弾とナパーム弾を浴びてみろ。

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