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Re: 「9・11」事件の謎--テロリスト国家アメリカ
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投稿者 こんなはずでは 日時 2005 年 10 月 02 日 07:23:32: RuERPyzNhqqCw
 

(回答先: 週刊金曜日の記事「9・11の謎〜インサイドジョブ〜」 投稿者 こんなはずでは 日時 2005 年 10 月 02 日 07:21:36)

「9・11」事件の謎 ー2
テロリスト国家アメリカ
 
  成澤宗男    週間金曜日、2002年11月8日号
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「反テロリスト戦争」を声高に叫び続けるアメリカ。し かし、CIAとビンラディンの結びつきを示唆する事実 が次第に明らかにされている。
アメリカのいう「テロリスト」とは誰のことなのか。 「9・11」度後に出た二つの報道をもとに探る。
   昨年の「9・11」の報復と して、米軍がアフガニスタン ヘの空爆を開始した翌10 月。・・・、注目すべき二 つの情報があった。
 
諜報機関長官が「犯人」に送金
 
 一つは、10月29日付『タ イムズ・オブ・インディア』 紙の記事だ。同月7日に突如 解任されたパキスタンの諜報 機関・三軍軍事情報部(IS I)長官のマムード・アウマ ド将軍が、代理人を通じて 「9・11」の主犯とされるエ ジプト人のモハメド・アタに 対し、「9・11」数日前に10 万ドル(約1250万円)以 上を送金していたという内容 だった。
 ISIは要員15万人を擁 し、世界最精強の諜報機関と 呼ばれるイスラエルのモサド に匹敵する力があるとの評価 を受けている。アウマド将軍 の送金の件は、パキスタンの 宿敵であるインドの諜報機 関・中央調査局(CBI)が 米国政府に通報して発覚した とされ、辞任もこれと連動し たものと見られる。
 
 このため同紙は「パキスタ ンがテロリストと共謀してい たという事実は、米国にとっ て対テロの戦線にこの国を加 える上での信頼を揺るがしか ねない」と指摘した。だが、 問題はそれほど単純ではない。
 
 このISIは「CIA(米中 央情報局)の協力と米軍の巨額 な援助によって巨大な権力を獲
得した」(1999年11月・ 12月号 米『フオーリン・ア ァェアーズ』誌)とされ、そ の歴代トップの人事はすべて 米国の意向が反映される。そ して主な役割もCIAの意向 を受け、米国が直接手を下せ ない対外秘密工作などを請け 負うことにあり、「CIAの出 先機関」とも呼ばれている。
 
 事実、99年に長官となっ たアウマド将軍は、CIAの みならず国防情報局(DIA) や国防総省と密接な協力関係 にあり、しかも「9・11」当 日を含め、昨年9月4日から 22日まで米国に滞在。R・ アーミテージ国務副長官や G・テネットCIA長官らと 会談を重ねており、問題の送 金もこの期間に行なっている。
『タイムズ・オブ・インデイ ア』紙の報道が事実なら、将 軍は米国にとって「事件」の 重要容疑者とされて当然だ が、これまでまったく捜査対 象になっていない。
 
 二つ目は、仏『フィガロ』 紙2001年10月31日付 が一面でスクープした記事だ (写真参照)。「事件」に先立つ 2ヶ月前の7月、アラブ首長 国連邦の首都・ドバイにある 米資本の世界的な高級病院チ エーン「アメリカンホスピタ ル」に腎臓病治療のため入院 していたビンラディンが、一 人のCIAの現地要員と会談 していたという内容だった。
 
 会談の中身は明らかにされ ていないが、すでにこの7月 当時、ビンラディンは98年 に起きたアフリカの米大使館 爆破事件などの容疑者。それ が逮捕もされないままCIA 要員と話し合っていたという のは驚きだが、空爆が始まり、 ビンラディンが「悪魔」か何 かのように描かれた情報が世 界中に氾濫していた時期だっ ただけに、『フィガロ』紙の記 事は注目に値した。
 
 これに対し当のCIAは同 日、「事実無根」との声明を出 したが、同様の報道は続く。
 
 英『ガーディアン』紙は11 月1日付で、『フィガロ』紙 のスクープは「仏諜報機関の リークによるもの」と解説。
また、ビンラディンが会談し た相手のCIA要員は一人で はなく二人で、さらにサウジ アラビアの諜報機関を二十数 年間一手に握りながら、理由 が公表されないまま「9・11」
発生二週間後に突然サウジア ラビアの諜報機関のトップの 座を解任されたタルキ・アル
ファイサル同国王子も、やは りビンラディンと会談してい たと報じた。
  さらに同日の仏海外放送 「ラジオ・フランス・インタ ーナショナル」は、問題のC IA要員をアラブ首長国連邦 の米領事代理、ラリー・ミッ チェル氏と特定。会談の日時 も7月12日であったと報じ た。さらに同氏はビンラディ ンが退院した14日の翌日に 米国に帰国し、CIA本部に 直行したとされるが、なぜか 本人の弁明はこれまで何も発 表されていない。またフィ ガロ』紙に対し、同病院のビ ンラディンの主治医は一切取 材を断り続けている。
 
米国とビンラディンを 結ぶライン
 
 これら二つの記事から浮か んでくるISIーCIA一ビ ンラディンという線は、実は
これまでさまざまなメディアを 通じ報道されてきた。このライ ンは、70年代末の旧ソ連によ
るアフガニスタン侵攻をきっか けに形成されている。
 
 1979年以降、旧ソ連軍と 親ソ連派政府軍に闘いを挑んだ アフガニスタンのムジャヒディン (イスラム聖戦士)を支援するため、 CIAは創設以来の大規模な 秘密活動を開始。70年代か ら1992年までにムジャヒ ディンヘの援助は総額200 億ドル(約2兆5000億 円)、87年だけでも供与さ れた軍事物資は年間6万50 00トンにのぼったとされる。
 
 さらに、世界の40のイス ラム教国から4万人近いイス ラム義勇軍が送り込まれたが、 ISIはこの時、CIAの資 金で義勇軍の応募や武器供 与、アフガニスタン内部の軍 事訓練施設建設などさまざま な役割を担った。また、ヴァー ジニア州にあるCIAの軍事 キャンプで、テロ活動訓練も 行なっている。参加したメン ーの多くは、イスラム原理 主義者か、後にそれに加わる ことになる中東出身者だった。
  そして、両者の共闘にさら に欠くことのできないパート ナーが加わる。サウジアラビ ア有数の建築会社を経営する 大富豪ファミリー出身で、サ ウジ王室とも繋がりの深いビ ンラディンであった。
 彼は月額で実に2500万 ドル(約31億2500万円) もの資金をサウジアラビアや 湾岸諸国から集めてムジャヒ ディンのために投じ、89年に はISIが操るムジャヒディ ン支援組織「マクタブ・アル キダマー」の責任者となった。
 
 同時に、CIAの資金援助 で、アフガニスタンとパキス タンの国境付近に多数の武器 貯蔵庫やトンネル、軍事キャ ンプなどを建設する。
 
 また、米国のジャーナリス トであるJ・グレイブ氏らの 調査では、ビンラディンはC IAによってティム・オスマ ンという偽名を与えられてい た。86年春にはカリフォル
ニア州のシャーマン・オーク スのヒルトンホテルで、CI Aの代理人とスティンガー対 空ミサイルのムジャヒディン ヘの供与について交渉したほ か、米軍基地への立ち入りや、 最新兵器の見学も自由に認め られていたという(注1)。
 ・・・・・
 89年、旧ソ連軍がアフガ ニスタンからの撤退に追い込 まれ、旧ソ連も91年には解 体する。だが、このISIー CIA一ビンラディンという 関係は冷戦後も切れることな く、米国の世界戦略の上で新 たな役割を与えられていく。
 
 同時に、このラインによっ て育成されたムジャヒディン は、ビンラディンとその組織 であるアルカイダの戦力の中 核として温存され、「国際テロ ネットワーク」へ発展する。
 これについて、カナダ・オ タワ大学のミッシェル・チョ フドフスキー教授は言う。
「CIAの基準からすれば、 テロ組織と呼ばれるアルカイ ダは『諜報活動の道具』に他
ならない。こうしたテロ組織 に対する支援は、米国の対外 政策の不可欠な部分を構成し
ている。アルカイダなどの組 織は今日まで世界のさまざま な地域で行なわれるCIAの
秘密作戦に参加し続け、CI Aとビンラディンの結合も、 過去の話ではない」(注2)
 
 チョフドフスキー教授の指 摘を裏付ける情報は少なくな いが、ここでは以下の三点だ
けを挙げる。
@米共和党がクリントン政 権時代の97年に発表した報 告書によると、CIAは内戦 が続いていたボスニアで、I SIと共にビンラディンやテ ロ組織と関係が深いスーダン の「第三世界救援委員会」な る団体やイスラム原理主義組 織、イランの革命防衛隊と協 力して、イスラム勢力を支援 するために秘密の武器供与作 戦を展開した。・・・

A今年4月22日付『ガー ディアン』紙によるとマケド ニアでは少なくとも2001 年前半まで、アルバニア人武 装勢力で、麻薬など犯罪組織 にも関与しているコソボ解放 軍(KLA)の支援下でマケド ニア政府軍と闘っていたイス ラム武装勢力に対し、米軍事 顧問団がアルカイダと共に支 援活動を展開したという。
 
 B「9・11」後、米国政府 は中東を中心にビンラディン の海外送金ルートを断ち切る ための調査を行なったが、な ぜかテロリストに使用されて いると欧州などから指摘され ている銀行は除外されていた。
このため、「ビンラディンのテ ロの問題は、補捉されないよ うになっていた。なぜなら彼 は、米国政府の強い後ろ盾が あるからだ」(『トロント・ス ター』紙、2001年11月2 7日)という指摘も出ている。
・・・・・
 前出の『フィガロ』の記事 は、最後に「ドバイでCIA とビンラディンが会談してい たという事実は、"特定の米国 の外交政策"の論理にそった ものに過ぎない」と結論付け、 格別驚くべき事実ではないこ とを示唆している。
 
 確かに一方で自分が養成 し、支援し、共闘した相手を 一転して敵扱いにし、巨大な 軍事力を動員してつぶしにか かるような”特定の米国の外 交政策"は過去にも実行され ていた。
 米国はかつて、CIAの協 力者としてキューバや旧サン ディニスタ左派政権のニカラ グア撹乱工作に利用したパナ マのノリエガ将軍を、89年 に突如同国に侵攻して「麻薬 容疑」で捕らえたことがある。 また今でこそイラクのフセ インを悪玉にしたてているが、 革命直後イランに80年に 一方的に攻め込んだフセイン に、軍事援助を続け、中東随 一の軍事大国になるのを手助 けした。しかも現在米国が、 イラクが保有していると騒ぎ 立てている生物・化学兵器の 原料も、この時期米国によっ て大量に売却されている。
 
 今回のビンラディンのケー スが、同じパターンなのかど うかはわからない。ただ、「テ
ロリストをかくまう国があれ ば、それはテロリストだ。テ ロリストを訓練し、武器を与
える国があれば、それはテロ リストだ」という、ブッシユ 大統領の言明に忠実に従うの なら、米国こそまぎれもない 「テロリスト」に他ならないと いう事実だろう。その米国が 叫ぶ「反テロ戦争」とは、い ったい何なのだろうか。
 
(注1) 「When Osama Bin Ladin Was Tim Osman」(http://www.orlin grabbe.com/binladin-timos man.htm)
(注2)チョフドフスキー教授の「9・ 11」関係の論文は、「Center for Research on Globalization」のホームページに収め られている。
※記事執筆にあたっては、『THE WAR ON FREEDOM』(Nafeez Mosaddeq Ahmed著) を主に参考とした。

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