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(回答先: 私の「終末宣言書2」 投稿者 有島実篤 日時 2006 年 1 月 23 日 13:22:39)
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「死ぬ瞬間」と死後の生」 エリザベス キューブラー・ロス
人生最高の報酬は、助けを必要としている人たちにたいして心をひらくことから得られる。
最大の祝福は つねに助けることから生まれる… 。
死を目前にして死を否認する(容認できない)ひとは、ひとり不安とたたかい しかし おびえ、途方に暮れ、孤独にさいなまれ、胸のうちを分かち合ってくれる誰かを死に物狂いで求めている。 その「誰か」の役割をはたすことにより 堰きを切ったように胸のうちを語る。
しゃべる相手がいないのであれば そばに行く。 ときには手をにぎって、心配することではない 死はそんなに怖いものではない と、いってあげる。
死を理解しようとする人のまえにたちはだかるいちばん大きな障壁は、意識が失われたら自分のいのちの最期は想像することもできなくなるということだろう。 故に、唐突におとずれる恐ろしい生の中断、悲劇的な殺戮、憎むべき病気の犠牲としてしか死を捉えられなくなる。 いわば、絶え難い苦痛としての死である。 ところが医師にとっての死は意味が異なる。 医師にとって死は失敗であり、敗北である。 近代的な病院では、死は孤独で、寂寞とした、非情な出来事である。 末期の患者はきまって片隅の部屋に移される。 救急治療室の患者は完全に隔離され、別室では家族と医師が本人に告知すべきか否かを議論している。
死にゆく患者にとってどんな状況が望ましいか、「どんなことばで伝えるか」こそ ・・