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(回答先: 格差社会の「自分探し」 オトコが揺らぐ (中日新聞) 【30代未婚率急増→独身オタク急増、らしい】 投稿者 月読 日時 2006 年 1 月 03 日 17:04:52)
> ついに「人口減社会」に突入した日本。その大きな理由に挙げられるのが「未婚、晩婚化」だ。
> 女性の社会進出が原因とされがちだが、三十−三十四歳の未婚率の推移を見ると、上昇は男性が際だっている。二〇〇〇年時点で42・9%と、三十年間で四倍近くに。同じ年の三十五−三十九歳の未婚率も男性25・7%、女性13・8%の大差だ。
> 結婚した男女の出会いのきっかけを見ると、高度経済成長期前には「見合い結婚」が過半数を占めていたのに、〇〇−〇二年はわずか6%に。伝統的な結婚支援の崩壊が、男性の側に大きな影響を与えている。
>国立社会保障・人口問題研究所の岩澤美帆主任研究官は「結婚したい、恋愛したい人は今も多い。でも、出会いは運任せ、いつか結婚できると思っている」という。東京大社会科学研究所の佐藤博樹教授も「出会いを後押しする存在がなくなり、コミュニケーション能力も落ちている。待っていては出会いはないと自覚しなければ」と強調した。
大好きな人はいっぱいいる。女性を見ると、ほとんど誰でもものすごく可愛らしいと思ってしまうので困ってしまう。妄想に浸らないように注意せねばならない。
>聖心女子大文学部の岩上真珠教授は、今楽しければそれでいい「現在主義」の考え方と、相手を自分で探さなくてはいけない「自己決定社会」を背景として挙げた。
> 子どものころから親や周囲が決めたルートを進み、自分で選ぶという訓練が足りない。結婚という重い決断にためらい、先送りしてしまう若者も多いという。岩上教授は「あなたにできること、しなくてはならないこと、社会から期待されていることを教え、自己決定力を育てる必要があるでしょう」と説いた。
> 結果を見た河村昌樹子・名古屋第一支社長は「感動力や共感力はあるんですが、それを好きな女性にうまく伝えるのは苦手みたいですね。彼女に、毎日会ってとか電話やメールをしてとねだられるのは、ダメなんじゃないですか?」
> 私に合う女性は、感性や価値観が合って、束縛しないタイプ、とのこと。正直に言うと、結婚にあまり魅力を感じていない。それがテスト結果に反映したようだ。だが、一人のままで幸福だと思う力も標準を下回った。私も「揺らぐオトコ」の一人なのだろう。
> 東京・秋葉原の名物となった「メードカフェ」に長い行列ができていた。一時間半待ちで、ようやく席に着いたマモルさん(35)=仮名。「なんか、なごむねー」としみじみ言った。
> 白を基調とした店のあちこちで、メード姿の若い女性が「お帰りなさいませ、ご主人様」「お待たせしました、ご主人様」とほほえむ。日常ではありえない状況に安らぎを感じるのは、慣れ親しんだゲームの世界の延長だからか。
> 通信関係の企業でシステムエンジニアを務めるマモルさんは、かなりの高学歴。収入も身長もそれなりに高い。後輩たちの信頼も厚い。でも異性との個人的な交際となると、途端に行動力が鈍り、まともに付き合ったことはない。「話題というか、表情、話し方、どうすればいいのか、よく分からない。駆け引きめいたことが苦手で…。自分が傷つくのが怖いのかな」
> 見合い結婚が減った今、彼のような奥手の男性たちは“独身オタク”になりがちだ。
> 野村総合研究所の推計では、オタクの人口は百七十二万人、市場規模は四千百十億円。インターネットの普及が、すそ野を広げた。孤独だった人たちもネットを通してつながり、趣味やこだわりを深めていく。その象徴が「オタクの街・アキバ」こと秋葉原の隆盛だ。
> 店を出た。師走の日曜日。歩行者天国の中央通りには、さまざまな年代、さまざまな国籍の人たちが行き交う。その中に男たちの人だかり。アニメのキャラクターらしい扮装(ふんそう)の女性が路上でポーズを決め、カメラ付き携帯が取り囲んでいた。歌手志望の女性の街頭パフォーマンスだった。
> 「ガンダム・シード・ディスティニーのザフトのルナマリア・ホークだね」と、即座にマモルさんが解説した。
> アニメや特撮番組にはかなり強い。中学生のころにはまったアニメ「うる星やつら」が、オタク遍歴の始まり。二十代のころは同人誌や美少女ゲームの店にも頻繁に通った。女性と付き合わなくても、楽しいことはいっぱいあった。
> 中央通りから脇道に入ると、小さな「こだわりの店」が並んでいた。パソコンの部品、ゲームソフトの店などを経て、マモルさんはお菓子の付録おもちゃ「食玩」の専門店で物色を始めた。ミニチュアの乗り物、動物などさまざまなシリーズがあり、奥の深い世界らしい。
> 「ほしいものが見つからなくても、探している時間が楽しいんだよね」
> 流行語になった「萌(も)え」は、この街によく似合う。同人誌、コミック、アニメソフト、フィギュアなどの販売で知られる「とらのあな」の広報担当の峯島敦さんは「“萌え”って、エッチ系に限らず、自分の好きな対象に胸がキュンとなる感情。誰でも抱く感情なので、流行の対象が移り変わっても消えることはないでしょう」。同社は、一九九四年に秋葉原の雑居ビルで創業し、今や全国に十四店舗、売り上げ百億円超だ。
> 昨年、大ヒットした「電車男」は、アキバ通いのオタク青年がネット仲間の応援を受けながら、純愛を成就させた。その主人公のように、希望と痛みを伴う生身の恋に揺れるマモルさん。日の落ちた秋葉原の街のネオンが、やさしく瞬いていた。 (「オトコが揺らぐ」取材班)
http://www.chunichi.co.jp/00/kur/20060103/ftu_____kur_____000.shtml
電車男は自分を改造するためにサーフィンをしたり、オタクをやめようとしたりして恋愛を成就させるために奮闘する話である。いくらオタク人口が増えても、圧倒的多数の成人男性は「オタク趣味」は欠陥人間とみなす傾向がまだまだ強いと思う。どっちかといえば、オタク以外の釣りやゴルフ、野球、サッカー、ジョギングのような体を動かす趣味やパチンコ、競馬などの賭け事を趣味として言った方が無難である。一人前の社会人に認められるためには、いつまでも妄想に浸ってばかりはいられないという焦りは持っている人もいるだろう。ひょっとしたら、自分を健全に見せるために外面はスポーツが好きな体育会系で、心の中はオタクな隠れオタクも案外多いのかも知れない。上司の前では普通の歌、旧友の前ではアニソンという二重人格者とかはいるだろうな。
私は中学生の時に見た女子高生コンクリ詰め事件のトラウマから未だに抜け出せない。リングという映画があるが、未だに暗黒の海でぷかぷかと浮かぶドラム缶が私の心象風景だ。17年前から毎日この事件のことは忘れたことはない。未だに胸が痛むし、17年間ずっと心の中に底知れない無間地獄の暗い穴を抱えて抜け出せないでいる。アダルトビデオも実際に見るまでは大好きなつもりだったが、あまりにも残虐なものは精神的トラウマしかもたらさなかった。いや、ひょっとしたらアダルトビデオの作品の中には、最初から内向的な男性に精神的トラウマを引き起こすようなプログラムがある作品があるのかも知れない。下手をすると、精神が硬直して引きこもってしまいかねないような作品もあるのだろう。肉体も精神も硬直し切ると死に至る。
いつまでも引きこもりやオタクでいられないという焦りは多くの人にあるのだろう。それも顕在化した人だけでなく、精神的な面でそういう部分を持った人も含めてである。エバンゲリオンというアニメ映画では作品の終わりにまだ映像が残っている段階で幕が引かれていったのだが、私にはまるでそれが作者が全国のオタク青年を突き放して「いつまでも妄想に浸っては生きていけない。さあ、オタク君。現実に戻りたまえ。」と呼びかけているように見えたのだった。
翌日、これを見た後「私はジョギングのような健全な趣味を持つ普通の社会人であり、アニメには全然興味ありませんが何か?」というような何食わぬ顔で出勤したサラリーマンもいるのだろう。内向的な人間にとってはこの世界は一生生きていくための自己否定、葛藤の連続だろう。
どう考えても電車男の顔は不良に絡まれそうというか、「俺を突っ込んでくれ」と自分からアピールしているように見える。痴漢を撃退するのではなく、自分が痴漢で逮捕されるか、反撃した痴漢に暴力を振るわれ、逆に被害者の女性に「大丈夫ですか?」と助けられ心配されるような顔である。究極の突っ込まれ系の顔だ。
オタク世代の葛藤などというのは、本当はそれ以前の世代の葛藤どころではないはずだ。全共闘世代は葛藤が外に出せて良かった。今は葛藤期間が長過ぎて、30過ぎても「自分は果たして、このままオタクを続けて「萌え」などと言っていて良いのだろうか」などという静かな悩みを抱えているのではないか。しかも、オタクでない人から見れば取るに足らない藁うべき悩みでしかないので言えないという。まあ、オタクでも何でも自分が幸せならそれでええんちゃうかの・・。