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(回答先: この国はどこへ行こうとしているのか−−相国寺派管長・有馬頼底さん(毎日) 投稿者 片瀬テルミドール夏希 日時 2005 年 12 月 10 日 09:35:53)
http://www.mainichi-msn.co.jp/tokusyu/wide/news/20051209dde012040065000c.html
◇日本文化の再生願う−−東洋文化研究者のアレックス・カーさん、京都からの発言
◇要するに日本人、愛情がなくなったっていうことです。自分の国土、山、川、水、木、葉っぱ、町並みすべてに対して
<……日本は多分、世界で最も美しい国であったと思います。その自然が、もう過去のものになりつつあります>
新潮学芸賞を受賞した著書「美しき日本の残像」(朝日文庫)で、そう嘆いたのは京都府亀岡市に住むアメリカ人東洋文化研究者、アレックス・カーさん(53)だった。これを読んで、司馬遼太郎さんは記した。<同感というほかない>。10年ほど前、司馬さん、晩年のころである。
●ウイークリー町家
その慨嘆の主が京の町家を現代によみがえらせるプロジェクトをスタートさせ、日本文化の再生を願っている、と耳にした。四条河原町から寺町通をぶらぶら、古本屋をひやかし、筋屋町にある彼の会社へ。もとは明治に建てられた丹波豆を扱う商家だったらしく、それをウイークリー町家として貸し出している。奥の倉庫がオフィスだった。
「要するに日本人、愛情がなくなったっていうことです。いいですか、自分の国土、山、川、水、木、葉っぱ、町並み、すべてに対して!」
いきなり、しかりとばされた。悔しいけれど、思いあたらぬではない。でも、京都を歩けば、あっちこっちで町家がこじゃれたレストランやブティックとして再生されている。「そうじゃないよ。ひとつ町家が残れば、あとの九つはどっかで消えている。ぜーんぜん、安心できる状態なんかじゃないよ」。京都もひっくるめて、戦後の日本の姿に悲しみのまなざしを向ける。
「またたく間に蛍光灯、プラスチック、コンクリートだらけの工業モードの国になってしまった。そして文化、伝統を歴史のゴミ箱に捨ててしまった。そもそも明治以降の近代化のスピードが速すぎたうえに敗戦のショックのダブルパンチだったからね。ヨーロッパの産業革命は失敗も重ね、時間をかけて歴史と調和をはかっていった。解決策が見え、バランスもとれてくる。それが日本になかった」
●東京オリンピック
初来日は1964年、12歳のときだった。弁護士の父に連れられ、横浜の米海軍基地に住んだ。しばらくして多感な少年は日本家屋に興味を持つ。瓦屋根、畳、そして庭……。のちにエール大学で日本学を専攻し、19歳の夏、ヒッチハイクの途中、魅せられた徳島は祖谷(いや)の茅葺(かやぶ)き民家を手に入れたかと思えば、いまは亀岡の天満宮境内にある一軒家を改修して暮らしている。
「そう、ぼくが初めて見たのは東京オリンピックにわく日本。でも、まだ古い家屋があった。市電もあった。下駄(げた)の音もあった。でも、経済の急成長で国民総生産(GNP)はガーンと上がり、田舎は過疎になる。ターニングポイントだった。京都では醜悪な京都タワーができ、京都が京都を否定しだした。私たちは京都じゃないんだぞーって。それをもっと高いボリュームで発信したのは京都駅の駅ビル。巨大で、漫画チックで」
とはいえ、そうだ京都、行こう、と、この秋も週末となれば、東京発下り新幹線「のぞみ」は老若男女でいっぱいだった。テレビも雑誌もこぞって京都特集。紅葉の古刹(こさつ)をめぐり、こだわりグルメで京情緒にひたる趣向である。
「ハハハ、ほか、どこ行くの? 中途半端な京都しかなくても、京都へ行くしかないんだよ。腐ってもタイだからね。日本人は美に鈍感になったから。看板、電線、パチンコ、ごみごみした町並みでも平気でしょ。ああ、文化的な町ですな、となる。感動しちゃう。ローレベルでね。京都はだんだん変な方向に走っていくのに来る客は何も言わない。満足してる。ほんとに京都を愛していれば、こんな京都で満足なんかしないよ」
●山をぺちゃんこ
2冊目の著書「犬と鬼」(講談社)は、前著にも増して鋭い日本解剖だった。モンスターのごとき官僚大国、そして自ら考えようとしないロボット人間を量産する教育システムを辛らつに批判した。完膚なきまでに、日本人には頭の痛い指摘ばかりであった。
「役人がつくりあげた国ですよ。高速道路は山をぺちゃんこにして、コンクリートで固めて終わり。町のデザインや景観なんかどうでもいいんだよ。自民党がどうのこうのじゃない。自民党が日本を支配してるわけじゃないんだからね。国土交通省、文部科学省、財務省の官僚が牛耳ってきたんだよ。自民党なんてただのお飾り。どの党だって同じ結果じゃなかったかな。だって京都は共産党だったんだよ。共産党の京都、民社党の名古屋、ぜーんぶ同じよ」
●たかだかとした皮肉
そういえば、かつて「週刊朝日」での対談のなかで司馬さんがこう言っていた。<アレックス・カーさんの魅力は、そのたかだかとした皮肉にありますな>。その通りだなあ。コテンパンに聞こえるけれど、たっぷり愛情がこもっているから、嫌みがない。聞いていて、すがすがしくすらある。むろん、日本、そして中国、アジア文化への深い造詣に裏打ちされてのこと。
「司馬さん、尊敬しています。クリエーティブな人だからです。とらわれない。意外な発想が出てくる。そして住んでいる大阪を愛してる。国土を愛してる。この間、九州の平戸に行ったんですけれど、司馬さんの『街道をゆく』を読み直しました。平戸のどこが美しいのか、魅力的なのか、どういう歴史があったのか、すごいパワーで追究して書いている。愛してるからこそ、見つける力があったんです。大阪論もおもしろいです。ずいぶん教わりました」
●気が漂う
このインタビュー、ずっと町家の玄関わきにある応接ルームで続いている。土間で、天井も高いから、暖房はあっても、ひんやりする。すきま風もある。でも、不思議と心地いい。コンピューターで温度を快適に調節してもらっている都会の息苦しさがない。
「木造建築史の最後に咲いた花だよね。格子や梁(はり)、床の間、建築アイテムはバラエティーに富んでいるし、マテリアルも竹あり、石あり、瓦あり。それに大黒柱、神棚、丑寅(うしとら)コーナーにお札があったりね。家のなかにカミサマがいる。<気>が漂っている。でも、町家は世界遺産じゃないんだよ。人間の心になじむ日常的なきれいさ、こういうものこそ大事なんだ。保存じゃないんだよ。活性運動なんだよ。柱と会話しながら、住みやすいように直せばいい」
●シャッター商店街
財政危機にひんする地方都市がいま、しきりにアレックス・カーさんへラブコールを送っているとか。それに応えて、九州、四国、北陸の小さな町を訪ね歩き、惨状を目の当たりにする。シャッターが下りたまま、薄暗い商店街に胸を痛める日々である。
「富山の高岡市に行ってきたんですよ。寂しいよね。どこもそうなんだよ。工業団地をつくれば、すべて中国にとられるし、ハコものでトライしたけれど、みな失敗。やっと本物を見つめなくちゃと思いいたったんだね。地方がどん底になって、ある意味、よかった。いい方向に進むんじゃないかな。希望がある。京都は、まあまあだから、危機感がないのね。そこが京都の悲劇なのよ。不幸なんだよ」
●ふとん
ところで、このすてきな町家、オフィスになっている倉庫の2階が大広間になっていて、なんと能のけいこ舞台もしつらえてある。「オリジンプログラム」と称して、茶道から書道、古武道まで体験できる。「いまは外国人が相手だけど、日本人も若者はガイジンだからね。うちのスタッフがあきれてたんだよ。ここに泊まってどこがよかったかって聞いたら、布団で寝られたことなんだって。非常にフレッシュな経験だったって」
この国はどこへ行こうとしているのか、そう尋ねようとして、思いとどまった。恥ずかしながら、もはやこの国は日本ではないのかもしれない。実はアレックス・カーさん、タイはバンコクにも生活拠点があって、そのフライトまでの時間が迫っていた。
「ぼく、京都の本を書いてるの。お寺の門や塀なんかにこだわったエッセー。たとえば、門なら、法然院がナンバーワンだよ。塀なら、この近く、仏光寺の白壁の塀、とっても、とってもきれいだよ」
そう教えられて、帰途、白壁を見た。夕日の落ちていく町にしっとりなじんで、なるほど美しかった。
【鈴木琢磨】(このシリーズは終わります)
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■人物略歴
◇アレックス・カー氏
1952年、米メリーランド生まれ。英オックスフォード大で中国学も修める。ウイークリー町家やコンサルティング事業の会社「庵」の会長。坂東玉三郎ら日本の著名人の知己も多い。
毎日新聞 2005年12月9日 東京夕刊
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