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マルクス主義 守るべきテーゼ(ダニエル・ベンサイード 労働者の力より)
http://www.asyura2.com/0510/senkyo17/msg/1021.html
投稿者 たかす 日時 2005 年 12 月 22 日 18:03:30: ifeEPcYg7BdHI
 

(回答先: 「 天皇制・国体と皇室典範  −女帝を認める法改正は可能か?− 」  弁護士  南出 喜久治 氏 講演 投稿者 救国の草莽の志士 日時 2005 年 12 月 22 日 12:44:12)

 
マルクス主義
守るべきテーゼ
      ダニエル・ベンサイードより転載抜粋
(抜粋貼付開始)
> ロシア革命によって幕を開けた一時代は終わりを告げた。1914年以前に姿を見せたような金融支配を表している帝国的グローバリゼーションの新たな段階は、我々が既に入り込んだものである。そこでの帝国的覇権は、多くの形で行使されている。そこには、金融支配や通貨支配(貸付けの仕組みからなる支配を可能とする)、科学と技術の支配(特許に基づく準独占)、自然資源の支配(エネルギー供給、交易ルートの支配、生物有機体への特許設定)、文化的覇権の行使(巨大マスメディアの力が強化する)、そして終局的には軍事的覇権の行使(バルカンと二つの湾岸戦争に明らかな)(注2)がある。

> 19世紀に確立された国民国家の機能は疑いなく変形され、弱められた。しかしそうであっても、国家を超えた国際法の時代には未だ到達していない。皮肉なことにこの10年でヨーロッパは、15,000km以上の新しい国境線を持つ10以上の正式な主権国家が出現するのを目にしてきた。ボスニア民衆、コソボ民衆、チェチェン民衆にとっての自決権擁護とは、明らかに主権の擁護である。全ての者が全ての者に対して行う純然たる奪い合いに対して抵抗力を提供する政治的主権に対して、吐き気を催すような民族主義や排外主義と正当な民主的精神をその下に混同させる「主権主義」という侮蔑的な主張が行われている。この主張が覆い隠すものこそ先の矛盾なのだ。
> 国際法は今も尚、次の二つの正統制をはっきりさせるために必要とされている。その一つは新しいものであるが、人間あるいは市民の普遍的な権利の正統性である(国際刑事法廷のような制度がその一部の具体化となっている)。もう一つは国家関係の正統性(その原理は、「永久平和」についてのカントの主張に遡る)であり、国連のような制度はそこに依存している。しかしその正統性については、それを国連がそもそも持ってなどいない美徳などというものに帰することなく(そして勿論ボスニア、ソマリア、ルワンダでのその働きぶりが示した悲惨なバランスシートを忘れることなく)、はっきり言っておくべきことがある。それは、連合軍作戦に関わった大国が追求した目標の一つについてであり、それは新たな帝国的秩序の構築物を新たな支柱に有利なように修正することだった、ということだ。そこでの新たな支柱とは、NATO(その任務は、ワシントンでの創立50周年記念サミットにおいて再定義され、拡張された)及びWTOである。
> 第二次世界大戦後に登場した勢力関係から生まれたものである以上、国連は疑いなく改革され、民主化されなければならない。その改革は、総会に有利な、そして安保常任理事会という閉鎖的クラブに反対の方向を持つものでなければならない(反議会主義は、比例制やフェミニズム化のような、厳密な監視の仕組みを持つ民主的な改革を我々が支持するにあたって、それを妨げる理由とはならない)。それは、そこに国際的な立法権を持つ正統性を与えるためにではなく、「国際的共同体」の必然的に不完全となる代表制が、それでも利害とものの見方の多様性を確実に反映するようにするために必要なのだ。
> 同様に我々は、ヨーロッパの政治諸制度、ハーグ法廷や緊急刑事法廷さらに将来の国際刑事法廷のような国際司法諸制度についての検討を早急に発展させる必要がある。

テーゼ2.
共産主義は、スターリニズムの崩壊の中で解体されることはなかった。

> 新自由主義的反改良の思想は、商品の世界化に付随した市場に忠実な競合というものに帝国主義を薄れさせようとの試みと並んで、共産主義をスターリニズムに解消しようとする。そこにおいては、官僚的独裁は革命事業の只一つの論理的な展開であり、スターリンは、マルクスあるいはレーニンの正当な嫡子となる。理念は、概念のこの系統図にしたがって世界となる。彼等にとっては、歴史的展開やスターリニズムの暗鬱な惨害は、「プロレタリア独裁」、あるいは「前衛党」という主張の中に既に潜在的に存在するものである。
> もちろん現実に社会理論というものは、時代の批判的な解釈以上のものでは決してない。例え我々が、歴史や証拠に基づいて理論の力を弱めている弱点や論理的欠落を追及するとしても、その理論を別の時代の基準で判定することはできない。この点で見ると、フランス革命から引き継いだ民主主義の諸矛盾、人民、党、国家の混同、官僚制の持つ危険を前にした社会的かつ政治的に溶け合った無知(資本的主義的復古という主要な危険との関連で過小評価された)、これらが1930年代のロシアにおいては、官僚的反革命には好都合だった。
> ロシアのテルミドールの進展においては、連続の要素と非連続の要素が共にある。しかし、官僚的反動の勝利の正確な時期を確定することの難しさは、革命と反革命の間の非対称性に関わっている。確かに反革命は、革命の裏返されたもの、あるいは左右を転倒した像、即ち逆回転する一種の革命、ではない。それをジョセフ・ドゥ・マイストゥルは、フランス革命のテルミドールに関して非常に巧みに表現した。即ち反革命は、逆の内容を持つ革命ではなく、革命への反対なのだ。そこにはそれ自身の時間尺度があり、いくつもの衝突が蓄積され、それらが互いに補足し合う。
> トロツキーは、テルミドール派反動の開始時期をレーニンの死とした。しかしそれでも彼は、反革命は1930年代始めまでは完成されなかった、と語っている。その時期とは即ち、ドイツにおけるナチズムの勝利、モスクワ裁判、そして大粛清と恐怖の年である1937年、という時期である。そしてハンナ・アーレントは彼女の著作「全体主義の起源」において、官僚的全体主義の登場を完全に1933年あるいは1934年とする明白な年代記を明らかにしている。ロシア、ソ連においては、モシェ・レウィンが、1920年代終わりからの国家官僚機構員の量的膨張を明るみに出している。1930年代には、民衆運動に対する抑圧が規模において変化した。それは、チェーカ(政治警察)の行動あるいは政治裁判が予示したものの単純な延長ではなく、質的な飛躍である。そしてその中で国家官僚は、彼らを統制可能だと信じていた党を、破壊し貪り食ったのだ。
> スターリニズムは官僚主義的反革命を意味し、10月から生まれた体制の大なり小なりの不可逆的な進化という単純なものではない。しかしこの考えは、一般的な合意で迎えられることとはかけ離れている。むしろその反対が現実だ。つまり自由主義的改革派と悔い改めたスターリニストは、スターリン主義的反動をボリシェビキ革命の正統的拡張と見ることで一致している。それは、正統派共産主義者の伝統から出てくる「革新者」が、スターリニズムを恐るべき社会的反応としてではなく、主に「理論的逸脱」と考えることに執着する場合たどり着く事実上の結論である。
> ルイス・アルザッサーは、彼の論考、「ジョン・ルイスへの回答」の中で、スターリニズムを「経済主義的逸脱」と特徴付けた。他の多くの理論家は、理論的誤りやその逸脱に強調点を置いた。これらの議論が示唆するものは、官僚主義の危険を避けるためにはその誤りを正すだけで十分であろう、ということだ(注5)。官僚主義的反革命に対する政治的分析における、いつまでも括弧付きの「理論的逸脱」という方法は、根源的な理論的原罪の探求というものと結び付き、単に「レーニン主義」というだけではなく、かなりの程度革命的マルクス主義あるいは合理主義的啓蒙主義の遺産までもの周期的再発性の清算へと導く。即ち我々は、レーニン非難から始まって、すぐさまマルクス非難…そして、あるいはルソー非難まで移っていく、ということだ。もしもマルテッリが書くように、スターリニズムが主に「無知」が生み出したものとするならば、権力に関わる専門家の危険を防ぐためには、より大きな理論的明るさだけで十分、ということになるだろう。それはあまりに単純だ。
> 我々の運動がこれまで無視してきたあることを行うことが有益だろう。それは即ち、全体主義という考えについてのより深められた討論を概括的に取り上げ(さらに近代帝国主義の時代とのその諸関係を)、そして特に官僚制的全体主義についての深い討論に着手する、ということだ。トロツキーはこの用語を彼の著作「スターリン」の中で、その理論的な位置どりに正確な規定を与えないまま何回も使用した。全体主義の起源についてハンナ・アーレントが彼女の三部作の中で分析した一定の一時的な諸傾向(大衆に生じた階級の砂状化、民族への凝集化、政治の傾向的退化)、及び官僚制的全体主義の場合にそれらの諸傾向が身に着けることのできた特殊な形態、これらに同時的に取り組む中でこの概念は、極めて有効であるとみなされる可能性があるだろう。さらにまたこうすることは、以下のことも確認させるだろう。つまり、この有益な観点を粗雑に、そしてあまりに拡張して使用した場合それは、我々の時代における唯一の適切な主張として、民主主義(無限定の、あるいは形容詞のつかない、それ故ブルジョア的な、現存の)と全体主義の間で相手を正当化することに思想的に奉仕してしまうのだ。

>法に対する非人格的な関係を超越する個人的契約(極度に不平等な社会ではしばしば個人的従属と同義となる)の法的卓越性を通した、賃金支払いを受ける株主、私的年金基金(連帯を犠牲にした)、社会的結び付きの「再封土化」(アラン・スピオがそう非難した)、これらを目的とした改革が現に目指されている。これら全てが描くものは、新たな資本―労働の協調的連合である。そしてそこに存在するものは、グローバリゼーションの大量の犠牲者を踏み台とした小さな勝者集団である。この傾向は一定の状況の下では、オーストリアの右翼ポピュリスト、イェルグ・ヘイダーやロシアのプーチンのやり方に現れているように、発作的な民族主義―リベラリズム形態と完全に共存可能である。
 テーゼ5.
政治は、倫理であれ美学であれ、どちらにも解消されない。

> 全体主義的な多元性の廃絶を通してだけではなく、商品への分解によってもまた、政治は終局的に世界から完全に消え去るかもしれない、とハンナ・アーレントは恐れた。そして確かに上に見た商品の分解作用は、商品に張り付いたその裏側にあるものだ。この恐れは、現実が既に脱政治化の時代へと入り込んだという事実によって、確認されている。ここでは公共的空間が、経済的恐怖を引き連れた暴力的な諸力によって、さらに抽象的な道義主義によって押しつぶされている。政治とその諸特質(構想、意志、集団行動)のこの衰弱が、ポストモダンのわけのわからない言葉に息を吹き込むのだ。しかしこの傾向は、諸事情の絡み合いが作り出す影響という問題以上に、現在の空間圧縮の波及下における政治行動の諸条件に生じたある種の危機が姿を変えたものである。進歩という近代の宗教が意味するものは、時間の文化であり、また次々と何物かになること、の文化である。この文化は空間をその代償とし、空間を一つの飾り物に、さらにある種偶然的な役割にまで切り縮めている。ファウカルトが指摘したことだが、空間は死と同等なものとなり、固定され、静止したものとなり、命をもつ時間の弁証法的な肥沃さと豊かさに対置されたものとなる。資本とその再生産の地球規模における広がりの暴虐非道な回転が、空間を評価する諸条件をひっくり返す。ある意味のこもった時期が持続できる時間の縮小そして空間における場の消失という、この二〇年に亘ってこれほどにまで激しく感じられてきた感覚を表すものこそ、上に見てきた現象なのだ。政治の美学化というものが、民主主義の諸危機に内在する周期的な再発性の傾向であると、例え仮定するとしても、地方への憧れ、起源の追求、必要以上に積み上げられる装飾、さらに信頼性を装う巧妙な策略などが疑いの余地なく暴き出すものは、不確実と成り果てた諸条件を前にした時の政治の無能性を実証する苦悩に満ちた目眩である。
> 一方ツィツェークは、新たな社会運動の散乱の中に、前世紀の敗北の一つの結果、忍従という背景の上に現れた新たな主観性の増殖を見ている。国家、財産、そして諸組織に対するこの応答は、脱全体主義化と階級意識の弱体化の論理的結果であろう。政治に対する拒絶は、社会的なものに対して過去一〇年に「政治哲学」が作り上げた、政治に関する制限に対する反応だ。しかし、政治と非政治の間に限界を描き、政治から一定の領域を取り除こうとする行為は、「卓越性を基準とした政治的行為」と同じである(注19)。
> ラクローから見ると、解放は限りなく権力によって汚されようとしている。それは、その完全な具体化が自由の全面的な収縮を意味すると思われる程に、である。左翼の危機は、官僚的共産主義の破綻及びケインズ主義的改良の破綻という二つの形態の下での、未来を表現することに関わる二重の終焉の結果であると思われる。あり得るルネッサンスが「新たな社会像の再構築」を意味するとしても、ラクローはいかなる急進的な代わりとなるものをも直視していないが故に、先の定式は依然として極めて漠然としたままである。
(貼付終了)
http://www.interq.or.jp/leo/sinter/topic10.htm

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