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(回答先: 今回は柔らかく書きすぎたのかもしれません。それで、何人かの方々のお心に不安の種を撒いたかも? 投稿者 新世紀人 日時 2005 年 11 月 06 日 16:33:29)
新世紀人さん、丁寧なレスを有難うございます。しかし、どうも煙に巻かれたような気分でよく分かりません。改めて、自らの浅学非才を感ずるところです。それでも一応礼儀として、感想のレスをさせて頂きます。
>女帝が実現した場合、現在の情勢の下では危険性は確かにあります。
>しかしながら、仮に愛子様が天皇に即位されるとしても、
>その時は、次の次の代の事であり、
>世界情勢も日本情勢も現在の帝国主義断末魔の時を脱しているであろうと考えたうえでのことであります。
>その時に、仮に女帝が即位されたとすれば、女性の育みの本質が世界の平和安定を促進する方向に作用するのではないかと考えたわけです。
つまり新世紀人さんは、女帝問題とは別のところで、世界情勢及び日本情勢の趨勢を観察された結論から見解を述べられている訳ですね。そうした結論の上にたてば、女帝でも問題はないという風に。
>天皇の本質と女帝の関係については、
>神話の上での事と人々は片つけていますが、
>天照大神が女帝であられたのですね。
>尤も是は弟君のスサノオノミコトの乱暴狼藉を招きました。
>大神が独身であられたことに起因しているのですが、
>その後に、この問題は解決されたのです。
>それで女帝でも一人身でなく天皇に即位されれば本質上に問題は起きません。
>天皇は皇后と一体の関係にあります。
>女性が天皇に即位された場合には、お連れ合いが皇后のお立場に立つことになるのです。
天皇と皇后が一体であるとは、伊邪那岐・伊邪那美の国生みから出て来る考えなのかなと思います。しかし、天皇のあり方と、天皇に至る神代のあり方は、これを区別する方が良いのではないかと思います。
>日本の祭政一致は奈良時代前から始まった「律令体制」によるものであり、中華思想の影響下にあるものであり、天皇を皇帝視するものですから、それをやるのであれば政治から天皇を切り離して、御祀りに専念していただいたほうが安全です。
>現在でも十分以上に天皇と皇室を利用しています。
>あの方々には、職業選択の自由さえもありません。
天皇についての議論に職業の話が出てくるとは思いませんでした。
其れはさておき、日本の祭政一致が「律令体制」によるものかどうか私には分かりません。しかし、「律令体制」が中国の模倣であり、そこでは天皇を皇帝視しているという点は教科書にもあることで、私もそのように思っていました。そして、そうした中国文化の影響下に天皇というものが成立していたというのが歴史ではないかと思います。
とは言え、江戸時代に生まれた国学においては、異なる天皇観があるのかも知れません。新世紀人さんのお考えは、あるいはそうした方面のものかと思います。私には国学の知識が欠けておりますので、何とも言い様がありません。
ただ、前回も書きましたように、天皇の純宗教化は西欧化ということになりかねません。また、神武東征のことは、天皇の政治性を明らかにしていると思います。神武東征自体が、中国文化の影響による作り話だとすれば別ですが。
>天皇は「意思的存在である」と考えます。
>「私が私である」のと似ています。
>天皇は「継続的・意思的存在」と考えます。
>太古から天津日嗣により「意思的存在」として継承される地位であるのです。
>従って、過去の天皇が「本当の天皇」であり、今の天皇は「本当の天皇ではない」と言う事ではありません。
>「天皇の内心に天皇がある」と考えています。
>時間的・空間的にも今の天皇が「唯一の天皇」であるのです。
時間的・空間的にも今の天皇が「唯一の天皇」であるとは、生身の天皇こそが天皇であるということになります。
しかし、「天皇の内心に天皇がある」のですから、生身でありながらその本質は内心にこそあるのでしょう。そして、その本質は太古から継承されてきたものという訳です。
「私が私である」のと似て天皇が「意思的存在である」とすれば、継承されてきた内心と共にある意思によって生身を生きるのが天皇ということになります。
継承されてきた内心とはどんなものなのでしょうか?其れは、意思そのものでしょうか、意思と共にある何かでしょうか。
いずれにしろ、其れは個人的なものであって個人的なものではない。個の中に有って、個を超えた何かでしょう。個を超えた何かを体現する存在が天皇でしょうか。とすれば、天皇の意思も個を超えた意思となります。
個を超えつつも、生身として存在している何か。其れが、天皇。ということでしょうか?
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