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特集WORLD:この国はどこへ行こうとしているのか−−岸田綱太郎さん
◇穏やかな反核医師−−ルイ・パストゥール医学研究センター理事長・岸田綱太郎さん、京都からの発言
◇これから5年、10年が大事ですね。生き残っている人の話を聞きなさい、真実の勉強をしなさい、と言いたい
京都大のキャンパスをめあてに向かった。街の定食屋では学生たちが昼ご飯をかきこんでいた。東京のオフィス街をぬけ出し、久しぶりにむんむんとした若いエネルギーを感じた。
がんなどの研究と診療を行う財団法人ルイ・パストゥール医学研究センターでは、あるじの岸田綱太郎さん(85)が理事長室で立って迎えてくれた。がんなどに有効とされるインターフェロンの分野の日本のパイオニアであり、戦後一貫して反核反戦の活動を続けてきた医学博士。おじぎをしたら、小柄な博士の白髪の頭はさらにその下にあった。
●軍靴の音
「私ね、小説書いてんのよ」。ソファに腰を下ろすなり、ゆったりと語り始めた。「戦争中からいろいろ書きためていたものをね。まとめていかないと記録は失われますから。でも、普通に書いたんじゃ面白くないでしょ。魅力的な女性を配置して、恋愛小説と思って読んでもらえるようにね」。眼鏡の澄んだレンズの向こうの目が細くなった。が、すぐに正面を見据えた。
「80年以上生きていますけどね、最近になってまた軍靴の音が聞こえてくるわけです。ザッザッザッ……と。60年たってまた、僕には聞こえる」
先の総選挙で自民党が圧勝。小泉純一郎首相の独壇場とも見える政界。改憲への動きも加速している。
「中学時代は強制的にカーキ色の服にゲートル巻かされて、どこに行くのにも鉄兜(てつかぶと)を持たないといけない。そういう経験ないでしょ、今の人は。映画でもゲームでも大量に人を殺すでしょ。ゲームでは生き返らせることができますが、本当の戦争ではできない。そういうことが分かっていないでしょ。お金があればなんでもできるっていう時代にもなってきました。株を売り買いして、それだけでもうけていく人がえらい人やと思う。おかしいと思いますね」
●メルモちゃん
ぱりっとした白衣の胸元から、おしゃれなワインカラーのネクタイがのぞく。「これしないと気持ち悪いんですねえ。患者さんに会うのにも、やはりね」。折り目正しい大正生まれの人である。
「じゃあ、まあコーヒーでも。私は5時から患者さんがありますが、それまでは大丈夫です」。今も外来に出られるのですか?
「時々出ます。患者さんとお話しすると、こっちも勉強になるんです。いろいろな方がいらっしゃるもんだなあと楽しみなんです」。診察室でのあだ名は「メルモちゃん」。手塚治虫のあのキャラクターのように、患者さんに合わせて変身するからだとか。「『美人ですねえ』とか『僕より10歳も若いんですねえ』と言ったりすると、おばあちゃんなんか喜んじゃって、いつまでも話して、嫁の悪口まで言い出して。でも、それが治療になるの。やっぱり誰かに聞いてほしいわけ」。「スッとした顔して帰りますよ」と言って、その表情のまねをした。
「今ね、シャツの上から聴診器をあてる医者がいるんですよ。そうしないとたくさんの患者をこなせないからもうからない、とね。一言も物を言わない医者が増えてますでしょ。検査結果を見て、薬を処方して『はい、サヨナラ』って。あなたの世界でもそうですか?」。日中、見つめているのはパソコンの画面ばかりだ。その目を上げないままの会話もある。「それはいかんことですね。顔を見合ってこそ、いろんなことが伝わるわけでしょ。顔色とか目の動きを見てね」
●パスツール
隅のガラス棚に、年代ものの顕微鏡が5台ほど並んでいた。「私は大正9年に、8カ月で生まれてね。『月足らず』っていうやつでね。温める機械もないでしょ。だから湯たんぽを四つ、体の周りに置いてね。お湯を絶えず換えなきゃなんない。ばあさんやじいさんや母がね、一生懸命やってくれた」。病弱な子だった。「ちっちゃい時でしたが、お医者さんっていうのはなかなか大変で、えらいもんやなと思いました。朝往診にきて、また夕方来てくださった」。体の弱い少年の楽しみは、自然観察と顕微鏡をのぞくことだった。
医師を志すきっかけは中学の時に見た、フランスの化学者で微生物学者のルイ・パスツールの伝記映画だ。「自分のことより病人のことを思う。パスツールのような人生を送れたら幸福だなあと思ったんです」
1945年10月。広島の原爆投下から2カ月後、その焼け野原に立った。京都府立医大調査団の一人だった。
「世界では、実際の原爆の被害を知らない人の方が多い。だから平気で劣化ウラン弾でも使うわけ」。この目で見たヒロシマを語り継ぐことが使命だと考えている。
世界的反核団体「IPPNW(反核医師の会)」京都代表を務め、戦争や核問題が起こるたびに署名を集める。地元の立命館大学で平和の講演などを繰り返し、イランでヒロシマの写真展も開催した。京都府立医大教授を退官し、86年にこの研究所を設立してからも、理事長室をサロンのようにして内外の研究者から教え子まで気軽に招き入れ、平和を語ってきた。
「私は同志社におりましたから(創立者の)新島襄の『良心を手腕に運用する』という言葉が好きです。私には良心があります、と言うだけではだめ。行動に移して初めて本物だということがわかります。代議士の選挙でも『国のためにこうします』なんて公約するけど、やらない人多いでしょ。それではだめで、言ったことはきちっと実行するということです」
●本当の味
理事長室の大きな窓からは、枝を広げた高い木々だけが見える。「隣はお寺だからね。ああいうの切らないからいいですねえ」
京の町に長く暮らし、生まれ故郷の東京はどう映りますか。「あんな景色になるとは思ってなかったですね、特に(高層ビルが林立する)汐留のあたり。ちょっと故郷とは思えませんね。疲れますね。第一、新幹線が疲れます。体がこう持って行かれるってことはね、生物の経験しない速さですね。時間さえあれば、こだまに乗って駅々で止まって行きたいですね。10分や20分早く着いてみたってしようがないって思うんですな。駅でぼけっとしたり、そこらをひやかしていたら10分や20分たちますでしょ」
効率と便利さを手に入れながら、どれだけのものを失ってきたのだろう。「京都はわりに昔のままの物が残っています。例えばお菓子屋さん。朝のうちに作って、お昼から行ったらもう売り切れというお菓子屋さん多いんですよ。格子戸を開けて入るような小さな店でね。よき日本の味もだんだん失われつつあるし、若い人たちが本当の味を知らないですよね。あれで当たり前と思っちゃうんでしょうね」
●良心
部屋の電話が鳴り、岸田さんがヒョイと立ち上がった。
「たまに会った人がね『お前、えらいちっさくなったなあー』と言うんですよ。前は、も少しありました。155センチぐらいはね。今は140ぐらいですかね。原因不明の貧血を治すために、やたらとお薬飲んで。背骨が八つぐらいつぶれました」。その貧血は、60年前のヒロシマで被ばくしたためと考えている。辛苦を重ねてきた医師。語り続けることへの疲れは全く見えない。
「20世紀は科学の悪い面が出た。21世紀はそれを修正しなければならないのですがね。原子力は人間がコントロールできる相手ではないのです。知らず知らずの間に原子力にまひしてきているんでしょうね。これから5年、10年が大事ですね。生き残っている人の話を聞きなさい、真実の勉強をしなさい、と言いたいですね」。熱い思い。でも口調はどこまでも穏やかだ。
「私、明るくみえますか? そうでもないんですよ。子供のころから病気がちだったし。だから、明るく生きていかないといけない、と思っているんです。人に影響も与えるしね。でもね、時々暗くなるんですよ。何で僕だけ生きているんだろうと思ったり、あの彼が生きてくれていたらなあ、とか。今日は聞いてくれる人がいてスッとしましたよ」
日はすっかり落ちていた。同志社大学に寄ってみた。門を入ってすぐに、岸田さんの好きな石碑があると聞いたからだ。真っ暗だったが、石碑の表面はかすかに輝いていた。「良心之全身ニ充満シタル丈夫(ますらお)ノ起リ来(きた)ラン事ヲ」。全身に良心が満ちあふれた青年が現れてほしいと望んだ新島襄の言葉。そして岸田博士の願いでもある。【三角真理】
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■人物略歴
◇きしだ・つなたろう
1920年東京生まれ。同志社大卒。京都府立医大卒。59年フランス政府技術留学生で留学。医学博士。京都府立医大名誉教授。著書「インターフェロン」(毎日選書)など。
http://www.mainichi-msn.co.jp/tokusyu/wide/
「毎日新聞」11/04(夕刊)
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