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(回答先: それでも私は書き続ける(天木直人ホームページ) 投稿者 天木ファン 日時 2005 年 10 月 30 日 10:52:32)
天罰と言わなくても、「不名誉」とか「権威の失墜」とかの形で人物評価が下されるに至る場合がある。
毛沢東は、近代中国の救国的英雄である事は間違い無いのであるが、
四人組失脚後は中国国内でも評価が下がった。
スターリンは彼もまた独ソ戦の救国的英雄だったのだが、スターリン批判により評価が下がった。
これらは、人道に反する政治手法に対して後世の評価が下された結果であり、これをある人は「天罰」と言い、または「真実の暴露」と言うのである。
「天罰」とはその様なものであり、人間の犯した間違いには必ず後世に評価が下される事になる。
「捉え方の方法の違い」でしかない。天意、言いかえれば真理は存在するのである。
人間には「選択の自由」が与えられているので、楽しく生きるも苦しく生きるも選択によるのである。最後には審判が下される。聖書なんかで言われている事はそういうことなのだ。
米国の間違ったイラク侵略には、イラク人の抵抗として「評価」が下されているわけだ。
そして、後世にはブッシュの評価が固まるであろう。
われ等が「小泉」も同じである。
小泉の評価が後世で下がれば、同時代人であるわれ等への評価も下がると言う事だ。
日本の過去のA級戦犯の問題も、外国が文句を付けて来る事は、日本を誘導する為の場合もあるが、「日本人の現在の行い」を外国人の声をもって戒める意味でもある。
この事の意味が判らないと、何度も同じ間違いを繰り返す事になるのだ。
東條英機への内外の批判が戦後も収まる事が無いのは何故であるかを考えなければならない。
石原莞爾への評価は戦後に高まる傾向があるのは何故であるのかを考える必要がるのだ。
やはり、生き方に置けろ両者の「大義意識」の差であろう。
現在の日本国民は「エゴイスト」が多いがために間違いを繰り返し、その分の「天罰」を受けつつある。
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