★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK16 > 1240.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 戦後60年・終戦秘話(YODAN) 投稿者 ドキッ!プロ奴隷だらけの水泳大会 日時 2005 年 11 月 22 日 17:24:15)
戦後60年特集・平和の語り部
慟哭のかげに戸惑いの日々
花輪文男
「あの頃は」と言ったところで、半世紀以上過ぎた昔の事になってしまった。だがどうしても頭の中にこびり付いて離れないのは、戦争で苦しんだ世の中と、敗戦したあの時の事、そしてこれからどう生きるか戸惑った事ではなかろうか。
戦後60年特集・平和の語り部
慟哭のかげに戸惑いの日々
花輪文男
「あの頃は」と言ったところで、半世紀以上過ぎた昔の事になってしまった。だがどうしても頭の中にこびり付いて離れないのは、戦争で苦しんだ世の中と、敗戦したあの時の事、そしてこれからどう生きるか戸惑った事ではなかろうか。
昭和19年にはいる頃から、日本軍は南方各地で敗退していた。各地の駅頭では「海ゆかば」の鎮魂歌が聞こえ、英霊となった若者達が白木の箱に入って帰ってきた。
政府は決戦非常体制を決め、20年になると軍民一体となって、最後の本土決戦の腹を決め、国民は神風の吹くのを期待して、軍は特攻と称する魔物と化し、軍民一体となってあらゆる困苦欠乏に耐え、聖戦と称して長いものに巻かれろ式で追随した。
7月のサイパン陥落は、決定的な敗戦の予兆であった。8月の原爆投下は連合軍の極悪非道なやり方であったが、日本国民は非道を驚きに置き換えて終戦を迎え、防空壕も防空頭巾もかなぐり捨てて、初秋の太陽を初めてまともに浴びた。
その時の思いは人様々であっても、「生きた、生きられた・・だが、これからどうなる・・どう生きる?」と戸惑った。まさにこれは人間慟哭の蔭に隠された、偽らざる心境ではなかったろうか。こんな追憶を追うのも恐ろしくなるが、こんな平和な世になろうとは、誰も予想した人はいなかったと思う。
しかしあの時自棄のヤンパチにならなかったのは、そんな余裕がなかったからではなかろうか。
替え歌に気を紛らして
人様々にあの日あの時を過ごしたが、思い出す事すらゾーッとする。軍民一体だったばかりに、小国民は疎開の苦衷を嘗め、女であっても竹槍で殺人のやり方を練習した。生きる為とは言いながら、到底今の世に通用するものではない。男子は動ける者全てが戦士として狩り出され、それが国家・同胞を守る唯一の道と心得、実戦にある者は「特攻」の二字に飾られ、母の名を呼んで死んでいった。
本土空襲が激しくなると、人の気持ちは絶望に近く、自分の気持ちを託する歌もなくなって、古い流行歌のメロデーに合わせて口ずさんだ歌詞がたくさん出来た。それが軍隊の中まで浸透していたのである。
『嫌じゃありませんか軍隊は/金の茶碗に金の箸/仏様でもあるまいに/一膳飯とは情けなや』などは、軍隊小唄として歌われたが、それが金の茶碗も金の箸も無くなって、茶碗は飯ごうの蓋になり、箸は竹箸に代わり、南方戦線では米粒さえも無くなった。「ダンチョネ節」の替え歌などは、不平不満のはけ口か、逃避であった。
『人の嫌がる軍隊へ/志願で出てくる馬鹿もいる/お国の為とは言いながら/可愛いスーチャンと泣き別れ』のスーチャン節は、蔭で軍隊を忌避した替え歌である。
替え歌が元歌よりも有名になったのは、『さらばラバウルよ・・』の「ラバウル小唄」ではなかろうか。元歌は「南洋航路」と言う歌謡曲であったが、ほとんど歌詞を知らない。
最も酷いのに「特攻隊節」がある。『燃料片道涙で積んで/行くは琉球死出の旅/エーエ/行くは琉球死出の旅』これは「白頭山節」で歌ったものであるが、その中の「エーエ」と言う囃しは何を意味するか、もう生きては帰れない捨て鉢な「吐き捨て言葉」であったはずである。
兵隊達はこんな替え歌を口ずさんで気を紛らした。
一方疎開学童は、「山の寂しい湖に・・」と歌う流行歌の「湖畔の宿」の三節目を、『ランプ引き寄せシラミとり/糸の縫い目をよくよく見たら・・』と歌いながらシラミを潰していた経験者達、又は両親・兄弟をなくして、路頭に迷った「浮浪児」達は、雄々しくも戦後を生き抜いて、今の世の中を築きあげた。歌は世につれ世は歌に連れと言うが、「よだん」に出てくる「思い出の唄」を歌った者は、幸せの方とばかりとは言えない。
あれから60年
光陰矢の如し、月日の経つのは実に短い。「生きて良かった」の思いは、到底今の人には分かるまい。日本は占領政策の中に組み込まれ、新しい
息吹の中に生き返った。一時はどうなる事かとお先真っ暗であったが、欧米各地で見られるようなゲリラもテロもなく、唯々生きる事に専念した。
枯渇して数少ない物資と、曾ては敵と憎んだ国の援助に頼って糊口を凌ぎ、変動する経済事情にも耐えて来た。ストや怪事件の頻発は新しい国作りの陣痛でもあった。対岸の朝鮮戦争が生んだ特需景気は、新興成金層を生み、これを契機にして神武景気・高天原景気・更に「天の岩戸景気」と、目まぐるしいまでの経済変動で、インフレ・デフレと波は襲ったが、それにも屈せず全ての景気名称は古代日本歴史からとったもので、新日本歴史の「卑巫女」時代は教育の場に据えられただけであった。
これらは曾ての敵国人が作り与えた新憲法の成果でもあるが、自虐的感覚から目覚めて、戦後60年の今日になって、漸く見直しの気運が満ちてきた。まさに「歴史は繰り返す」そのものと思う。
新時代に生きて
紆余曲折は世の倣いとは言うものの、これ程の曲折は新生日本の生みの苦しみにも似て、唯々振り返って驚くばかり。走り続ける生涯列車は、宇宙旅行列車の旅も夢ではない。パソコン・ケータイは世界62億の人々と縁を持ち、皆同胞と言うべき世の中になった。がしかし、人の気持ちは皆同じではない。
五族共和を唱えて大戦の憂き目を見たが、この理想を実現する為には、人種・宗教・思想の違いから来るハードルは未だに高く、空間を飛び交う電波だけではよく衝突もしないで飛んでいる。
地球が滅びるには未だ未だ先の事、文化文明が発達するに従って、自分を取り巻く環境が代わり、越前クラゲのような大発生も、温暖化現象から来るものと言われる。
人のイノチも大変化した。不治の病と言われた肺病・癩病が撲滅し、ヒトクローンの研究が進めば、ガンも撲滅出来る希望が生まれた。人生50から今では80になり、「人生100歳時代」は必ず来ると思う。その時代こそ新時代を通り越して、新々時代と言うべきか。
あの時は慟哭したが、大声を上げて泣き叫び、「何クソ」と思って生きた事が、この世の中になって、更に更に新時代に生きようとしている。
唯惜しむらくは、新時代に生きていると、自由奔放だけが一人歩きして、殺害・殺人のニュースが大きく取り上げられ、美談・美徳の報道が少なくなったのが残念で仕方ない。
投稿者:yodan at 15:32
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK16掲示板