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最後の親孝行 花輪 文男
余命永らえて戦後60年になるが、未だ大事にファイルしている実録の中に一枚の保険証券がある。勿論敗戦と共に無効になったが、我が生涯の歴史の実証として密かに生きている。
最後の親孝行 花輪 文男
余命永らえて戦後60年になるが、未だ大事にファイルしている実録の中に一枚の保険証券がある。勿論敗戦と共に無効になったが、我が生涯の歴史の実証として密かに生きている。時は昭和20年8月下旬の事、私は復員業務等の残務整理中、部隊副官(小堀史朗少佐)から一枚の小さな紙きれを渡された。見れば裏も透けて見えるような粗雑なものであるが、朱印の跡も鮮やかに証券番号も明確な「戦争死亡傷害保険証券」である。つまり保険期間一年の掛け捨て保険で、密かに契約してくれた副官は、「人の命は金に替えられないが、せめて貴官に最後の親孝行をさせてやろうとした」と語っていた。
この契約に至る経緯を改めて辿ってみると、昭和20年の年明け早々に「本土決戦要綱」が全軍に示達され、我々北方軍は「決一号作戦」に組み込まれ、私は俄に敵の本土上陸を阻む水上特攻要員として、体当たり特攻艇の研究開発から洋上訓練の真っ最中であった。
6月10日になって敵の潜水艦は石狩湾まで潜入したのを機に、新たに「敵潜掃蕩隊」の編成を命ぜられ、爆雷を搭載して見えない敵を追って出撃する身となった。
私は素より一死以て君国にこの身を捧げていたものの、7月14・15日の北海道大空襲を体験して、これが最後と覚悟して稲荷神社に武運長久を祈願(写真現存)した事を察した部隊副官は、密かに私に代わって保険会社を呼んで契約してくれたのがこの保険証券である。その日付は7月20日である。
主従の関係は親子の情に繋がるもので、保険金の受け取り人は我が父の名義になって、勝手とは言え「最後の親孝行」として配慮してくれたのがこれであった。
保険金の五千円は夢にも見る事の出来ない大金で、清酒一升が三円の当時である。勿論我々は一銭五厘で集められ、むざむざと死地に追いやられたあの戦争を呪うが、その裏に隠された人の情けを忘れる事は出来ない。
投稿者:yodan at 15:30
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