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(回答先: 徹底した議論を行わずに司法の場に信仰の問題を委ねるという姿勢自体が、国家の宗教に対する干渉を強める 投稿者 TORA 日時 2005 年 10 月 17 日 15:07:07)
-----Japan On the Globe(202) 国際派日本人養成講座----------
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_/ 国柄探訪: 靖国神社の緑陰
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_/ _/_/_/ 「安らかな国家」の実現こそが、靖国神社に
_/ _/_/ 祀られる250万柱近くの英霊の願いであろう。
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===============★★★ 緊急ニュース ★★★=============
前号で朝日新聞がweb上で靖国神社参拝に関するアンケー
トをしている事をご紹介しましたが、8月5日に「参拝すべ
き」が31344 票(72%)に到達したあたりで、急遽このアンケー
ト集計を中止した模様です。8月4日朝刊には、別の世論調査
で「慎重にした方がよい」が65%を占めた、などと報道して
います。朝日新聞版「大本営発表」でしょう。YahooやMSN
のアンケートでも、朝日のwebと同傾向の結果となっています。
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■1.捧げし人のただに惜しまる■
かくばかりみにくき国となりたれば捧げし人のただに惜
しまる
ある戦争未亡人の歌である。夫は国のためにと一命を捧げた
のに、その国がこんなに醜くなってしまったのでは、何のため
の犠牲だったのだろう、という痛憤の一首である。
わが国の為に一命を捧げた人の遺族に、このような思いをさ
せている事に、心ある人々は、同じ同胞としてまことに申し訳
ないという気持ちを持つであろう。
作者の言う「みにくき国」とは、具体的には何なのだろう?
生徒に権利の主張ばかりさせる教育現場、汚職の絶えない政治
家や官僚、さらには他国に対して自己主張もできない外交、、、
いろいろ考えられるが、最近読んだ次の一文は、遺族にこのよ
うな痛憤を与える風潮の典型ではないか、と思った。
このような状況の中で戦死した一般兵士は国の引き起こ
した戦争の犠牲者である。しかしアジア諸国民から見れば、
彼らは侵略国の軍隊の一員である。日本軍兵士の死は侵略
者の一員の死である。・・・
そうだとすれば、アジア諸国の人々から見れば、靖国神
社が戦没した一般兵士の従軍を有徳行為として誉め、神と
崇めることは、A級戦犯を祭神として祀ることに劣らず、
アジア諸国民の心を傷つけるものである。[1,p107]
「日本軍兵士の死は侵略者の死である」、日本軍に身内を殺さ
れた東南アジア華僑がそう言うならまだしも、日本人が「アジ
ア諸国民の心の傷」を空想して、同じ同胞に対してこんな酷薄
な表現を平気で使う。これでは英霊の遺族は耐えられまい。
■2.靖国神社を護ったブルーノ・ビッター神父■
一般兵士を祀ることすらアジア諸国民の心を傷つける、とい
うもの言いが、いかに不道徳であるか、示してくれたキリスト
教神父がいた。
昭和20年暮れ、占領軍司令部は玉砕や特攻で発揮された日
本軍将兵の激しい敢闘精神を根源から断とうと、靖国神社の焼
却を計画した。指令部内では賛成意見が多数を占めたが、一応、
キリスト教会側の意見を聞いておこうと、当時ローマ教皇庁代
表として日本に駐在していたブルーノ・ビッター神父に見解を
求めた。神父は以下のような要旨の回答をした。
自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国
家のために死んだ人びとに対して、敬意をはらう権利と義
務があるといえる。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、
平等の真理でなければならない。無名戦士の墓を想起すれ
ば、以上のことは自然に理解できるはずである。
もし、靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は、米
軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残るであろ
う。歴史はそのような行為を理解しないにちがいない。は
っきりいって、靖国神社を焼却する事は、米軍の占領政策
と相容れない犯罪行為である。
靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源で
あるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、
靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、
神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を
信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、す
べて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進
言するものである。[2,p130]
マッカーサーはこの答申を尊重して、靖国神社焼却計画に中
止の命令を出した。おそらく膨大な犠牲を出して戦った米軍将
兵たちこそ「日本軍兵士の死は侵略者の死である」と思ってい
たであろう。そのような憎しみの情から靖国神社を、そして米
軍の名誉を護ったのは、このビッター神父の言葉であった。
■3.敵兵を弔う日本の伝統■
「国家のために死んだ人びとに対して、敬意をはらう」という
のは、人間的な心情の発露として世界共通であるが、この点で
わが国の文化は特異な伝統を持っている。ひとたび戦いが終わ
れば、敵国の死者の霊も弔うということである。
二度の元寇を撃退した後、弘安5(1282)年に執権北条時宗は、
鎌倉に円覚寺を建て、元軍10万人の死者のために1千体の地
蔵尊を作って奉納した。
秀吉の朝鮮出兵の際には、各地で敵兵の屍を埋めて弔った。
当時の朝鮮中央の要職にあった柳成龍は、著書「懲録(ちょ
うひろく)」の中で、「日本軍は、熊嶺の戦死者の屍をことご
とく集め、路辺に埋葬し、その上に標柱を立て、『弔朝鮮忠肝
義胆』と書き署(しる)した」と記録している。
日露戦争が終わった後の明治40(1907)年、日本政府は亡く
なったロシア軍将兵を弔うために、激戦のあった旅順近くの案
子山に高さ13メートルの礼拝堂を建てた。ロシア皇帝ニコラ
イ2世は感激して、その除幕式に自ら出席すると言い出したほ
どである。皇帝の臨席こそ実現しなかったが、出席したロシア
将兵や牧師たちは、「このような事は史上例がない」と感激し、
日本を心から尊敬するようになった。日本政府が自国将兵のた
めの「表忠塔」を建てたのは、その2年後であった。
南京事件が起こったと言われる日支事変でも、総司令官・松
井石根大将は日中両軍の戦死者を弔う慰霊祭を行い、また双方
の戦死者の血の沁みた土を持ち帰り、それをもって熱海に興亜
観音を建立して、両軍の英霊の冥福を祈った。[a]
■4.仇敵の肉を食らい、遺体にむち打つ中国■
敵国の将兵をも弔う日本の文化伝統は、中国と比較するとそ
の違いが鮮やかに見てとれる。「隋書・孝義伝」によると、王
領は、父が陳の武帝に殺されたのを怨み、随の南征軍に加わっ
て勇戦した。陳王朝が滅ぼされると、武帝の陵墓を暴いたが、
親の仇を自分で殺せなかった事を思うと、怒りがこみあげて、
その骨を焼き、灰を水に混ぜて飲み下したという。
隋書に限らず、歴代王朝が創建後かならず編纂する正史には、
「孝義伝」という項目が入れられ、怨敵、仇敵に対して、殺害
後にその肉や肝を食い、遺体にむち打ち、あるいは骨を灰にし
て飲むという話が数多く収録されている。
死後も敵を憎むという精神は近代でも変わらず、戦時中親日
政権を作った汪兆銘の墓は、戦後、蒋介石軍によって裏切り者
として爆破されている。蒋介石軍は台湾でも全島の日本人の墓
を暴き、墓石を打ち壊した。
儒教の死生観では、死とは人間の精神を司る「魂」と、肉体
を司る「魄」が分離することである。それが合体すれば、死者
が蘇る。それを防ぐためには、墓を暴き、死体を破壊しなけれ
ば、安心できないのである。
靖国神社参拝で「軍国主義の亡霊が蘇る」というのも、中国
人からしてみれば、現実的な恐怖なのであろう。首相の参拝に
よって、戦犯たちの「魂」が励起され、それが墓の遺骨と合体
すれば、まさしく軍国主義の亡霊が蘇るのである。このような
死生観を持たない日本人は、あくまでも比喩として受け取るの
で、どうにもピンとこない。靖国神社に参拝しただけで、たち
まち軍国主義者になり、中国侵略を志す日本人がどこにいるの
だろうか、と。
■5.官軍、賊軍の恩讐を乗り越えた寛容・和解の精神■
日本人が敵の霊をも弔うのは、死は生前のすべてを浄化する
し、人は敵も味方も死後はみな神になる、という死生観を持っ
ているからである。死者を鞭打つどころか、死者の悪口を言う
事すら心ない仕業として蔑まれる。
この死者への優しさは、争いから生じた相互の憎しみの心を
和らげ、平和で寛容の精神を恢復させる。そもそも靖国神社は
明治維新の際の戊辰戦争での官軍側の戦死者を弔う慶応4年の
招魂祭を起源としているが、「朝敵」として死んだ幕府側の戦
死者の霊はどうするか、という問題が残った。
明治5年、明治政府は賊軍の追忌のための墓標の建設を許し、
さらに、7年には戦没者遺族が賊軍ゆえにその祭祀を憚ってい
ることから、堂々と祭祀を執り行うようお達しが出されている。
「朝敵」徳川慶喜は大きく減封されたとは言え、駿河70万石
は安堵された。五稜郭で最後まで抵抗した榎本武揚は一時獄に
つながれたが、命を助けられ、やがて新政府に出仕して栄達の
道を歩んだ。
「官軍」「賊軍」の恩讐を超えて、明治日本がいち早く国民国
家としてまとまったのも、両軍の死者を祀って、寛容と和解の
精神を引き出したからであろう。狭い地球であまたの民族が肩
寄せ合って住む現代の国際社会を平和に保つためには、このよ
うな寛容と和解の精神こそが不可欠である。死後にまで罪を問
い、恨みを晴らす中国文化では、争いは絶えることがない。
■6.戦犯裁判受刑者は罪人とは見なさない、との国会決議■
その後、靖国神社では、日清、日露から大東亜戦争と、戦乱
の中で国事に倒れた人々の霊を祀ってきた。その中には軍人だ
けでなく、沖縄戦で戦没した「ひめゆり」部隊などの女子学生、
沖縄からの学童疎開中に米潜水艦に撃沈された対馬丸に乗って
いた小学生たち、満州開拓団員などが含まれる。全246万6
344柱のうち、女性5万7千余柱、朝鮮人2万1千余柱、台
湾人2万8千余柱を含んでいる。
昭和27年4月28日に平和条約が発効し、日本が独立を恢
復すると、昭和30年にかけて、遺族援護法が成立し、敵国の
戦争裁判で刑死、獄死した人々の遺族にも、遺族年金や弔慰金
が支給されるようになった。
その中心となったのは、堤テルヨという社会党の衆議院議員
であった。堤議員は衆議院厚生委員会で「その英霊は靖国神社
の中にさえも入れてもらえない」と遺族の嘆きを訴えた。堤議
員の活躍が大きく貢献して、「占領中の敵国による軍事裁判で
有罪と判決された人も、国内法的には罪人と見なさない」、と
いう判断基準を含んだ法改正が与野党をあげて全会一致で可決
された。
東京裁判は戦勝国が自国の戦争犯罪は不問にして敗戦国のみ
裁いた点、弁護側に証人喚問の機会も与えずにその証言書を証
拠として採用した点、また「平和の罪」「人道の罪」など勝手
に新たな罪状を作りだして、過去に遡及して裁いた点など、お
よそ近代法の原則を踏みにじったものであることは、今日の国
際法学界で広く認識されている。[b]
「戦争犯罪者」が靖国神社に祀られていることを非難する意見
は国際法でも国内法でも成り立たないし、百歩譲ってそれらの
人々が「犯罪者」であったとしても、刑を受けた死後にまでそ
の罪を問い、恨みを晴らそうとする中国文化を、わが国が受け
入れねばならない理由はない。
■7.先祖の霊はあの世で子孫の繁栄を見守る守護神■
わが国では生者が死者に優しいように、死者も生者に優しい。
先祖の霊はあの世で子孫の繁栄を見守る守護神であり、そして
お盆には子孫のもとに帰ってくる。わが国の先祖霊は、他国の
ように自分だけの幸福のために、子孫を見捨てて、西方浄土や
天国に勝手に行ってしまう事はない。
先祖の霊をお迎えすることは、先祖との心の交感である。自
分たちの今日を作ってくれた先祖の恩に感謝し、かつ、自分も
今後の子孫のために現世における努めを果たし、死して後は草
葉の陰で子孫が栄えるのを見守っていこうという気持ちを新た
にする。
そして、この先祖との交感は、靖国神社においては個々の家
系を超えて、共同体のために一命を捧げた人々すべてをお祀り
し、国民全体がその共同体を受け継ぐ子孫として、先祖の霊を
お迎えするという公の行事に発展した。
したがって、若くして子孫を持たないままに亡くなったみた
まも、無縁仏としてさまよう心配はない。国民全体が子孫とし
てお迎えしてくれるのである。
■8.平和な「みたま祭」こそ「靖国」の象徴■
昭和21年7月、長野県遺族会の有志が、自発的に上京して
きて、靖国神社の境内で盆踊りを繰り広げ、民謡を歌って、戦
没者のみたまを慰めるという行事が始まった。
これが7月13日の前夜祭に続く新暦でのお盆の3日間行わ
れる「みたま祭」として、現在まで続けられている。ぼんぼり、
献灯二万灯が参道両側を照らし、日本舞踊・能などの奉納、盆
踊り大会、剣術の演武会、相撲の選手権大会などがにぎやかに
執り行われる。若者や家族連れが大勢押しかける。
250万柱近くのみたまは、靖国神社の緑陰に帰ってきて、
子孫たちの平和で楽しげな祭りを嬉しげに見守っているのでは
ないか。「靖」は「安」であり、「靖国」とは「国を安んず
る」事である。子孫たる国民が心安らかに暮らせる国家こそ英
霊たちの願いであろう。その先祖の心を偲んで「安らかな国
家」実現のために尽くすのが、我々の子孫としての責務である。
「かくばかりみにくき国となりたれば捧げし人のただに惜しま
る」というような痛憤を英霊にも遺族にも持たせる事があって
はならないのである。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(081) 松井石根大将
b. JOG(059) パール博士の戦い
■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 加持伸行他、「靖国神社をどう考えるか」★★、小学館文庫、
H13
2. 小堀桂一郎、「靖国神社と日本人」★★★、PHP新書、H8
3. 黄文雄、「中国政府が小泉首相の靖国神社参拝に反対する
本当の理由」、「正論」H13.8
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「靖国神社の緑陰」について
靖国が「軍国主義の遺物」という偏見を徐々に取っ払って
行かなくてはなりません。確かに、そういう一面があること
は認めますが、それが全てではない。靖国神社は、近代日本
の創生と成長の過程で膨大に生じてしまった戦没者の祭られ
るところ、立派な霊場です。
私はこういう時代が来てくれたらいいと思う。どのような
政党の党首が首相になっても、たとえその人が、靖国神社に
無関心であったり、反感すら持っていたとしても、公人とし
て参拝することが当たり前で、それを多くの国民が当然のこ
ととして、受けとめる時代が。中国韓国のごとき「反日国
家」の非難をモノともしない時代が。きっとこんな時代がや
って来ます。
小泉首相のこの度の参拝は、きっと良き前例として、靖国を
めぐる事態の好転に繋がっていくでしょう。(岡島さん)
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われわれは対外的に靖国神社の存在そのものをきちんと説明
すべきであり、そのためにも小泉首相は15日に参拝すべきで
あったと思いますし、そうしなかったことは、残念でなりませ
ん。われわれもまたできる限りこのような情報をもっていない
人たちに知らしめる努力を惜しむべきではないのです。努力し
たいと思います。(Makotoさん)
■ 編集長・伊勢雅臣より
各種のインターネットの世論調査では、靖国参拝を支持する
声が70%を超えるほど圧倒的でしたが、マスコミの報道ぶり
や政治家の振る舞いは、それとは比例していませんでした。国
民が近隣諸国やマスコミから主権を取り戻すにはもう少し時間
がかかりそうです。民主主義への道は険し。
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