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(回答先: 徹底した議論を行わずに司法の場に信仰の問題を委ねるという姿勢自体が、国家の宗教に対する干渉を強める 投稿者 TORA 日時 2005 年 10 月 17 日 15:07:07)
死んだら仏になりたいとか、こうすれば死んだら仏になれるという考えは明治以前の日本にもあった。
しかし、死んだら神になるというのは、死んだ後に神として公に祀られたのが豊臣秀吉と徳川家康くらいだから、明治維新後の国家神道のなかで醸成されたごく短期間の珍しい考え方である。
(神代の人物はともかく、天皇で神として祀られたのは明治天皇だけ)
「死んだら神や仏になる」と願ったり思い込んだりするレベルを超えて、「死んだら神や仏になる」という意味が理解できている人がいるのなら是非とも説明を伺いたい。
(「死んだら神や仏になる」という発想は嫌いじゃないけどね(笑))
※ 念のため、中国には仏教寺院も道教廟(神社に近いもの)も数多く存在する。
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