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(回答先: Re: 「モーターサイクル・ダイヤリーズ」や「チェ・ゲバラ」を見て 投稿者 gataro 日時 2005 年 10 月 16 日 10:56:22)
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人民新聞社
http://www.jimmin.com/doc/0378.htm
更新日:2005/08/17(水)
[コラム] キューバ訪問記3/新しい循環型社会を目指す
──水野阿修羅
「物が豊富にあれば、人間は幸せなのか」。これだけを論じるのはとても危険な気がする。消費を煽る人たちは、人の物欲を刺激する。そして、それが人間社会の発展の原動力だとした。ソ連型社会主義はそのため、生産を上げることを第一目標にし、大規模農場・大規模工場を作り、機械化農業・化学肥料投入農業を推進した。ソ連から援助を受けざるをえなかったキューバもそれに従った。だがソ連の生産は低迷し、体制そのものが危うくなった。そしてソ連の援助を受けられなくなったキューバは、石油も化学肥料も、食糧も入らなくなった(一九九八年)。
カストロは石油に依存しない農業を目指して、有機農業の本を読みまくったという。石油がないからトラクターが動かせない。化学肥料がないから作物が育たない。農薬がないから害虫が大発生。そんな中で、カストロの打ち出した方針は、「乏しさを分かち合う」だった。食用のための牛を農耕にまわす。輸入穀物を大量に必要とする食用牛の中止とトラクターの代替、土地の浅掘りによる土地再生の早期化が目指された。食用牛の廃止は牛の屠殺禁止となり、ミルクは病人・子ども優先となった。牛を殺して売ったら刑務所行きだそうだ。
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大平 哲のホームページ
http://www.econ.keio.ac.jp/staff/tets/kougi/chiiki/chiiki03/f-4.html
有機農業と地域経済
4 キューバにおける有機農法
和久田 典隆・鈴木 智也
われわれが有機農業について調査するきっかけとなったキューバの有機農業,その現状について,世界的な有機農業先進国と呼ばれるに至るまでの経緯を外部そして内部の要因に触れながら記述した.そして,今後キューバの有機農業が海外での市場をどの様に開拓し得るかを,アメリカのフロリダ州という市場に着目しつつ考察した.また,八郷への視角としてどの様にして八郷の調査へ行くことになったか,その流れも追ってみた.
4-1 はじめに
4-2 有機農業を始めるに至った要因 −外部からの影響−
4-3 キューバ内での取り組み −内部での発展−
4-4 対外産業としての有機農業の可能性
4-5 キューバから八郷へ
4-6 感想
4-1 はじめに
キューバという「地域」の発展を考察するべく,われわれはそこにおける発展は外部からの影響を多大に受けているという見方と内部の構造自体の影響が大きい,というその二つの観点を考慮しつつ議論を進めてきた.キューバという国は資源も乏しく小国であるという制限を有し,なおかつ旧共産圏への依存やアメリカからの経済制裁といった外からの影響も受けやすい地域であり,経済的な発展を果たすのは容易ではないと考えられた.しかし,調査をしていく過程でキューバは世界的にも高い評価を受けた有機農業大国であるという意外な事実を知り,そこから何か発展の糸口が見つけられるのではないかと考え,このキューバにおける有機農業について調べることとなった.
4-2 有機農業を始めるに至った要因 −外部からの影響−
キューバが有機農業を始めた背景には,その当時キューバが置かれていた世界的な位置付け,旧共産圏の崩壊とアメリカによる経済封鎖が大きく影響していると考えられる.
キューバは革命以来アメリカへの経済依存から,旧共産圏への依存へと移行し社会主義的国際分業という名目の下で完全に外へ依存する体制を創りあげてしまっていた.キューバが主要輸出産品としていた砂糖にしてみても,一般にモノカルチャー作物は国際市場に左右されやすいが,ソ連の政治的な思惑があり,世界標準価格の5.4倍で取引されていた.その為,1989年には農地の60%がサトウキビ生産に使われており,砂糖やラム酒などサトウキビ加工品が外貨収入の75%を占めていた.輸入の面においても,キューバは貿易の70%をソ連と,15%を東欧諸国と行っており,化学肥料や農薬はもとより,ほとんどの生活必需品を社会主義国から輸入していた.エネルギー供給等は64%を輸入石油に依存しており外との関わりが無くしては生き延びることのできない国であった.そのような状況下で,1989年に起こったコメコン崩壊はキューバを未曾有の危機へと直面させた.それまで,外貨収入のほとんどを占めていた砂糖の輸出額は98年には92年の半分以下になり,原油輸入が1300万トンから300万トン減少する等,多くの輸入品が同様に減少していった.さらには,アメリカからの経済封鎖が拍車をかけるようにして強まり,輸入量は減少し続け多くの経済部門で生産活動が困難に陥った.
この緊急時をカストロは「スペシャルピリオド」として,国をあげて直面した危機に対処して行く方針を採った.そして,何よりも先ず対処して行かなくてはならなかったのが食糧危機の問題であった.
1989年時点でのキューバ食料自給率はわずか43%でありそのほとんどを海外に頼っていた.しかしコメコン崩壊以降その輸入量は半分以下に陥り,多くの人がまともな量の食糧を確保できず深刻な栄養不足へと陥った.農業においては,キューバは当時では南米の中でも進んだ技術を持ち,大型の機械や多量の科学肥料・農薬を使うといった大規模農業を行っていたのだが,緊急時ではそれが逆に仇となり,燃料の減少はトラクターをただの鉄の塊にして,農薬の減少は大規模な農場の管理を難しいものとした.そこで,人々は日々の生活を生き抜く為に自分達で食糧を確保するしかなく,機械や農薬も手に入らない状況では必然的に有機農業を始めるしかなかった.
有機農業は都市部から広まっていった.人々は先ず家の周りにある空き地やゴミ捨て場を畑にし,肥料には生ゴミやミミズを使い,トラクター代わりに牛を使った.石油輸入量が激減し都市への食料輸送や貯蔵などのエネルギーコストを節約する必要があった政府はこの動きを歓迎し,都市の食糧の需要を近場で賄うことを進め,またバイオ農薬の開発にも力を入れていった.この結果1994年に90年の55%まで落ち込んだ農業生産量は数年間で回復し,96年には95%になり,98年には元の水準に戻っていた.なかでも,米や野菜,果樹は有機農業によって完全に回復した.
この様に,あまりにも海外に依存していた状態が背景となって,コメコン崩壊が引き起こした食料危機こそが国をあげて有機農業に取り組む直接の原因となったわけであり,結局のところ日々の生活を生き延びる為の方法として有機農業を始めるしかなかった.有機農業の基本は,高付加価値商品を開発するためではなく,あくまでも自給にあったのだ.
4-3 キューバ内での取り組み −内部からの発展―
緊急時の中で国をあげて有機農業への転換が推し進められてきたわけだが,それだけでとどまらず政策面においても大胆な改革を行ったことが現在の有機農業における発展の大きな一因ともなっている.それではキューバ国内ではどの様な政策がとられていったのか具体的にいくつか触れてみたい.
国営農場の解体― 経済危機以前のキューバでは,全農地の75%を農業省が管理する巨大な人民農場や砂糖産業省下の約180の農工業生産複合体が所有し,22%を協同組合農場や生産農家組合,3%を個人農家が耕作するといった状態であり,民間セクターが所有する農地は全体の4分の1にすぎなかった.そして,その大部分を占める大規模な国営農場では大量の農薬や化学肥料そしてトラクターを必要としていた.しかし,前に述べた理由でこれらが得られなくなり,また動かせなくなったことにより,93年9月新協同組合農場が作られることとなった.その新協同組合農場の設立によって,それまではいくら働いても働かなくても給料に差のない状況から,組合員の努力が直接給料に反映されるようになり,彼らは生産量や生産コスト,組合の収益にも関心をもつようになり効率性の上昇,責任感の上昇へと繋がった.さらには資源が不足する中では有機農法を採用する農場が増え,技術の進展も促していった.
流通の改革― 農地改革に続く大きな改革として農産物の自由販売が始まったということがある.経済危機が起こるまでは,基本食料は低価格で配給され,販売先と言えばその配給を担ってきた国営機関(アコピオ)だけであった.そして,毎週決められた曜日に協同組合農場や個人農家から直接購入する収集ポイントが作られ配送用のアコピオの冷蔵トラックや貯蔵施設も整備されていた.しかし,この流通システムは経済危機で行きづまることとなり,農場が出荷の準備を整えていても,燃料や車両の不足で収集車がなかなか収集ポイントへ取りに来ないといった状況も起こった.流通システムのマヒ,農業生産自体の落ち込み,さらには協同組合農場や農家の出荷意欲の減退と悪循環に落ち込み配給制度は危機に陥ったのだが,その状況を打破すべく自由販売を認めて行くことになった.とは言え,全てを自由に販売できるわけではなく,あらかじめ契約された国に対する販売ノルマの達成が条件となって,その残りを直売所や自ら設置した野菜スタンドで販売することができる.しかし,それは生産者の意欲を増進させるには十分な条件であり,生産量の増加,収入の増加へと大きく繋がっていったのである.
上に述べた改革は,結局のところ変わらざるを得ない状況によって促されてきたのだが,この他国には依存せず自国内で,状況にあった改革が推し進められてきたということは,多くの発展途上国が海外に頼らざるを得ない状況から抜け出せないでいることを考えれば,着目すべきところである. また,有機農業の発展はそれだけにとどまらず賃金の上昇,自由に野菜が買えるようになった等,人々の生活の活性化を果たしたというところにも大きな意味があると考えられる.
4-4 対外産業としての有機農業の可能性
前にも示したように,有機農業はあくまでも,自給自足を達成するためにやむを得なく推し進められてきた手段であるという.しかし,例え自給自足ができているとは言え,地理的・政治的・経済的に外から干渉を得ざるを得ないキューバの様な状況では,自立をするという上ではなにか交渉力となりえる産業が必要になると考えられる.現状では,輸出品目におけるサトウキビ製品への占める割合は減ってはきているものの,従来と同じ商品作物が主な産業となっている,そこで有機作物には対外への交渉力となり得る様な可能性があるのかというのをみてみる.
・既存の商品作物の有機化
今後の方向として政府が打ち出しているのは有機栽培によって,低迷してしまっている従来からの輸出製品に付加価値をつけようという試みである.まずは,主要輸出品目となっているサトウキビをみてみる.89年時点の生産量は810万トンあったものの経済危機により最低で336万トンと落ち込み,2000年においても364万トンと依然低迷している状態ではあるが,97年から有機砂糖の生産が始まり,2000年には1000トンがヨーロッパに輸出された.輸出をするに際しては,ヨーロッパに認証団体があり,そこで認証されれば品質は保証される.次に柑橘類であるがこれも経済危機によって輸出量が10分の1まで落ち込んだ商品であった.しかし有機農法の導入によって89年の生産量と同じ程度には回復した様である.この柑橘類,大半が加工品として輸出されており,有機製品は一般製品よりも40%も高く販売できている.また,これも経済危機によって大きく低迷していたコーヒーであるが,2001年には前年比63%の生産量の回復を見せ,輸出量も増えている.結果,砂糖に代わって輸出量が上昇し,92年では輸出シェアが7%であったのが98年には18%に増加した.
さらには,新しい取り組みとしてキューバで開発された,バクテリア・カビ等を使って作られているバイオ農薬の輸出というのも,2000年から始められ外貨獲得の手段として期待されている.
・アメリカ,フロリダ州という市場の開拓
そこで議論となったのは,キューバの新たな方向として有機農産物,特に野菜を輸出して外貨を稼ぐことは可能だろうかということである.まだ市場が少ないとは言え,近年の健康志向は有機野菜の浸透の展開というのを十分に促すものである.そこで,キューバに一番近い市場といえばアメリカのフロリダ州である.フロリダには毎年4千人の人が訪れ,400億円使っていく.キューバからは約150キロしか離れておらず,フロリダ州の主な農産物はオレンジやグレープフルーツといった柑橘類である.有機野菜の農地面積がアメリカ全体で2,343,857エーカーあるのに対して,フロリダには12,059エーカーしかない.このことからフロリダでの有機野菜の栽培の規模が小さいことが予想される.また,フロリダ州は避寒地として,中流以上の生活をしている人々の集まるところでもあるので,需要は少なくはないと考えられる.そこで,有機野菜の市場を確保できるのではないかと考えた.フロリダで生産されている柑橘類を輸出しても,機械によって大規模生産をおこなっているフロリダには価格で及ばない.そして,一般的な野菜にも当てはまることではあるのだが,有機野菜に限定して言えば,キューバが市場を獲得していく可能性は多いにあると考えられる.アメリカでフロリダはごく小さな市場ではあるとしても,それはキューバにとっては大きな市場となりえるのである.しかし,現状での問題点として,輸送と保存のためのインフラの整備がキューバではまだ整っていないということが言える.同時に,アメリカの衛生の基準を満たしていることを証明しなければいけなく,その認証方法にどう対応していくかということも考える必要がある.さらには,今でも続く経済封鎖が大きなネックとなっている.レオン・ベガ農業省外務局長は,「市場が開かれたその日は,キューバはアメリカにとって,最も重要な有機農産物の源となりましょう.アメリカ人は,味の良い食べ物を求めています.私どもは大陸で最も安全な食物を生産しているのです.大陸上で,その能力と可能性と実行性を持っている国はほかにありません.ですが,私どもは閉鎖されています.」と語ってアメリカにおける,キューバの有機農産物の可能性を発言している.
4-5 キューバから八郷へ
では次に,なぜキューバから八郷に行き着いたのか,という経緯を辿ってみたい.上であげたようにキューバはフロリダといった大消費地を近くにもつ地理にあり,その市場の供給源としての可能性というのは多いにあると考えられた.しかし,可能性があると考えられても,実際にどの様な方法で取引され,どの様に流通して行くか等,解らないことが多くもっとよく知る必要があった.そこで,日本国内で大消費地に隣接し有機農業に取り組んでいる地域という地理的条件に着目し,モデルケースにして考察しようということになり,その条件で調べている中で八郷があがったわけである.また,あくまでも有機野菜によって地域(国)の発展を促すことができるのかどうかといったところが着目点であるので,その面からも八郷は良いモデルになり得ると考えられたからである.そして何よりも,とにかく有機野菜というものについて何も知識を持たない状態であったので,直接見てみることが一番であるとして,調査に至ったわけである.
4-6 感想
鈴木智也:キューバの有機農業を調べるにあたって,経済的な成長をどうもたらすのかというのが論点であったわけなのだが,個人的には経済成長とはまた異なった発展,というものを考える上で,キューバにおいての有機農業というものが大きな役割を担っていると感じた.例えば,環境的な側面から見た持続可能な発展というのを考える上で,このキューバというのはいいモデルになるのではないかと思う.日本の食糧自給率は現在40%である,まさに旧共産圏崩壊以前のキューバである.現在は金の力でなんとかしているものの,これがどう転ぶかはわからないのであり,キューバから学べることはたくさんあるはずである.また,キューバの様な発展途上国と呼ばれる様な国では自給自足を可能にしている,というのは精神的な活性化への影響も大きいのではと感じた.多くの途上国が他国の援助なしでは生きられない状況で,食糧の面に限ってではあるが生き抜くことができるというのは大きな強みではないのであろうか.自分達先進国と同じ様な暮らしイコール発展と捕らわれがちななかで,以上の様にキューバには新しい途上国の発展のカタチを成し得るのではないかと感じた.と,論点からずれた感想になってしまったが以上で終わりにしたい.
和久田典隆:キューバの有機農業を調べていく過程で,発展ということについて考えさせられた.キューバは冷戦から現在に至るまで外部的な要因に大きく左右されてきた.冷戦のときは,食料を含めて,生活に必要なものをソ連に依存してきた.現在では,アメリカの経済封鎖により先進国にある多くのものがキューバにはない.しかし,キューバは有機農業を始めることによって,すべての国民に食糧を供給できるだけの水準に達した.これにより,人間の基本的なニーズである食料に関しては自立しており,他国からの干渉を受けにくくなった.それに比べ日本はよく,農産物の関税を低くしろとWTOから干渉を受けている.先進国の多くが目指すGDPの拡大という視点からではなく,国が独自性をもって発展していくという点において,キューバは発展していると考えた.
参考文献
吉田太郎『有機野菜が国を変えたー小さなキューバの大きな実験』コモンズ,2002年
吉田太郎『200万都市が有機野菜で自給できるわけ』築地書店,2002
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★ソ連邦崩壊後のキューバ 2004年12月11日
http://blog.livedoor.jp/s88888888/archives/10544085.html
★日本も見習おう!有機農業大国 キューバ! 2004年12月12日
http://blog.livedoor.jp/s88888888/archives/10590626.html
★どうする日本!キューバから学ぼう! 2004年12月13日
http://blog.livedoor.jp/s88888888/archives/10593095.html
キューバの有機農業
http://www14.plala.or.jp/Cuba/Cubaorganicindex.htm
キューバの有機農業について【参議院農林水産委員会の質疑】
http://www.asyura2.com/0311/war42/msg/597.html
投稿者 エイドリアン 日時 2003 年 11 月 14 日
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