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(回答先: 民営化、自己責任の社会 (ビル・トッテン)─日本海新聞 投稿者 外野 日時 2005 年 10 月 16 日 07:00:57)
今年、居住地近くの、とある政令指定都市で、チェ・ゲバラをあつかった映画が2本、時をおかずに上映された。「モーターサイクル・ダイヤリーズ」と「チェ・ゲバラ」である。
その時、今なぜチェ・ゲバラなのだと、ふと思った。南米にはベネズエラ、ブラジルなど、色合いは異なるものの「左翼政権」が、最近連続して誕生している。これらは共通してアメリカの新自由主義的覇権に反対する政策をとる。しかし、ゲバラの実践した武装革命路線をとって誕生したものではない。事実上、ゲバラ主義は実践的には克服されてしまったかのようだ。しかしゲバラを愛しその死を惜しむ人は今も、数多くいる。なぜなのか。
たぶんゲバラの生き方や精神の美しさがそうさせるのだろう。キューバは確かに貧しい。カストロ政権には強圧政権という側面もある。異論弾圧は決して容認できるものではない。だが、一般国民にカストロ離れが起きているかと言えば、そうでもない。これはゲバラなどが体現するキューバ革命精神の美しさ、それと教育と医療を大切にする政策がそうさせているのだろう。
Buena Vista Social Club の復活を描いた映画にも、貧しいけれども明るく生きる庶民の姿がふんだんに登場した。キューバはアメリカの言うような暗い沈滞した世界ではないと、その時感じた。復興期の日本、高度成長期の日本、新自由主義路線を突っ走ろうとする今の日本。これらと、今のキューバ社会やアメリカ社会をランダムに比較していると、貧しくても生き生きしていた自身の少年期・青年期を哀惜の念をもって思い出す。次の筆者ビル・トッテンさんの記述は実感をもって私に迫りくる。私はアメリカ社会よりはキューバ社会を選びたい。
「少し前の日本はキューバのように誰もが同じボートに乗っている国であった。日本の町並みは似通っていて、駅を降りると商店街が並び住宅地になる。さまざまな職業の人が隣近所で似たような家に住み、高級住宅街とされる地区でも人々はあいさつを交わし、米国のような高い塀で囲まれたコミュニティを作ることはなかった」
「こうしてすべてを民営化、私有化して社会投資を少なくしたい。社会的弱者に使われるお金はなるべく少なくしたい。避難命令を出したのだから、被災したのは自己責任だというのが米国政府の基本態度である。おそらく今ブッシュ政権がもくろんでいるのは被災地の復興作業でどうやって企業をもうけさせるかであろう。小さい政府、民営化、自己責任の社会。それが日本があがめる米国である」
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