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(回答先: 抽象的「民主主義」を振りかざす唯物論的独善こそ、世の中の「悪」である。 投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 10 月 11 日 00:55:29)
ODA ウォッチャーズさんがしたり顔をしてあまりにも馬鹿げたことを書かれているので、失礼ながら噴き出してしまいました。
>この結果としての、選挙結果こそ、「民意」であり、民意に従うことが、議会制民主
>主義だ。
選挙制度の問題はともかく、「民意」の反映である総選挙の結果、自民・公明の小泉与党連合が改選前以上をはるかに上回る圧倒的多数の議席を獲得したことは事実です。
そして、選挙の結果で統治の方向が変わるのが議会制民主主義であることも認めます。
しかし、総選挙で多数を占めた人々の判断が「民意」ということにはなりません。
あくまでも、多くの「民意」が小泉与党連合の掲げた政策を評価したということです。
反小泉与党連合の立場で当選した代議士は、“多数派の民意”ではなく、少数派であっても自分を評価した「民意」を尊重して政治活動を行うというのが議会制民主主義の基礎です。
そうではなく、国会議員は「多数派の民意」に従うべきものであるのなら、個々の具体的な政策(法案・予算案)の是非を論議する場である議会は実質的には不要ということになります。
今回の総選挙の「民意」は、小泉与党連合に2/3を超える多数の議席を与える一方で、反対派に1/3近くの議席を与えたというものです。
小泉連合反対派の議員は、“多数派の民意”に臆することなく、個々の選挙区で受け容れられた自分ないし所属政党の政策や価値観に基づいて積極果敢に政治活動をすればいいのです。
得票率では議席数ほどの開きがなくとも、議席数が政策を決定するというのが議会制民主主義ですから、より積極果敢にかつ智恵を絞って政治活動しなければならないと言ったほうがいいかもしれません。
極端に言えば、与党が479議席を占め、野党が1議席であっても、1議席を獲得した野党議員は、議会での発言の機会もほとんでなく政治的影響力も皆無に近いとしても、自分の政治的信念に沿って必死の政治活動を行わなければならないのです。
>議会制民主主義国家の国会議員は、選挙結果を厳粛に受け止め、民意を尊重するため
>に、自己批判し、自己修正するのは、当然のことだ。
当選した国会議員が公表してきた政策や信念を変更することを否定するものではありません。
政策を選択するのではなく、生身の人間を議員に選挙する意味はそこにあるとも言えます。
しかし、政策や信念の変更は、上述でご理解いただけると思いますが、野田聖子さんが説明した理由で行われるべき性質のものではありません。
政策を信念を変更するときは、私はこれまである政策(法案)を○○の理由で反対してきたが、よくよく考えるとそれは誤った見方であり反対していた政策を実現することが△△のメリットにつながると判断するに至った、なににしても政治的立場の重大な変更であるので、様々なかたちで詳細の説明をさせていただくという経過が必要なのです。
>自己の理念にのみ、凝り固まる、旧社会党の非武装中立論や、「共産」という理念に
>固執続ける、共産党が、ポスト・モダン社会において、殆ど、無用となっていること
>を、まだ、理解しないのだろうか。
ことさらあげられた立場を掲げる政治勢力が実在しているのかという問題はともかく、そのような政治勢力が多数派を形成することはない一方で、それらを支持したり評価するものが皆無になったというわけでもないというのが「民意」です。
「民意」にとって無用になった価値観や政策を掲げる政治勢力は議会制民主主義の枠からは消滅するわけですから、それらのみを取り立ててどうこう言う意味はないと思いますよ。
もちろん、反映された「民意」が「民意」の基礎にある願望や目的に適った成果をもたらすかどうかは不確定です。
合目的性や“真実”ではなくそれらを含意するとしても、とにかく「民意」の量を重視するのが議会制民主義なのですから...。
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