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(回答先: 【関連】 言葉や文化で壁 孤立する在日外国人 【東京新聞】 投稿者 愚民党 日時 2006 年 2 月 19 日 22:22:19)
マスメディアが民衆を裏切る、12の方法
http://takeyama.jugem.cc/
投稿・裸足の町 2006.02.28 Tuesday
http://takeyama.jugem.cc/?eid=448#sequel
事件があった長浜に長年住んでいた方からの投稿。
竹山さま
いちいち反応するのもと思い、今まで書かなかったのですが……
この事件があった長浜へ、車で30分足らずのところに生まれてから30年以上も住んでいました。そもそも滋賀県には被差別部落が多くあって、この長浜の直ぐ北にも大きな被差別部落があります。
今どきは、被差別部落が何であるのかも知らない人があるとは思います。しかし長浜の住人の多くが、今も「差別感情」を普通のものとして持っていると思っています。多くの人にとっては、日本語が充分ではなかった彼女は差別の対象だったろうことは否めません。
関西の古い町においては、差別の壁は未だに現存するものです。
本日の新聞では、幼稚園での聞き取りをするとありましたが、住人たちが普通に持っている差別の感情が、「オカシイ」ものとして彼等自身に捉えられていない限り、表には何も出てこないでしょうね。
もしも、「先進国」の文化を運んできてくれる(と、錯覚しているような)欧米人が町に暮らすことになったら、町のハイソたち(?)が競って(?)面倒を見た可能性もあり、疎外感は少なかったかもしれません。
被差別部落民、チョーセンジン、シナ人を地域住民がスンナリ受け入れているとは思えません。
長浜の園児殺害では、一番にこの「差別感情」を思いました。
父親が平和運動や水平社活動に取り組んでいましたから、子どもの時から被差別部落には多くの知り合いがいました。
私が中学生くらいまでは、被差別部落の人々は長浜の町に入るときには、「裸足」になることを強要されていました。裸足にならなければ町を通してもらえませんでした。
知人が言うには、「○○村のヤツは町を通さない」と、今でも普通の会話として出るといいます。私も、そうだろうと思います。
そうした長浜で暮らさなければならなかった加害者は、気の毒だったと思います。
▼これまで、「実名報道の問題」「在日外国人バッシングを煽る問題」を指摘したが、さらに根深い、ニッポンが永年温存してきた「差別感情」そのものを射程に入れなければ、この問題の全体像をとらえることはできないのかも知れない。
否応なしに、そう考えさせられる投稿だった。感謝。