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(回答先: 横浜事件 再審は免訴 / 有罪、無罪判断せず( 東京新聞 ) 投稿者 gataro 日時 2006 年 2 月 10 日 09:23:31)
http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2006/02/20060210s01.htm
拷問に次ぐ拷問によって、無実の人を犯罪者にでっち上げる。戦時中、いわゆる特高警察によって摘発された横浜事件は「権力犯罪」の典型的なケースだろう。治安維持法違反の罪で有罪が確定した元被告5人の再審で、横浜地裁は9日、免訴の判決を言い渡した。同法の廃止などを理由に、冤罪(えんざい)だったのかどうかの実質的な判断を見送ったことになる。
これでは治安維持法でいわれなき罪に問われた人の本当の救済は、事実上できないことになるのではないか。廃止された法律であろうとなかろうと、冤罪だったのかどうかは再審できちんと判断されるべきだ。法の精神である正義の実現にかなうこととはとても思えない。
2003年4月の横浜地裁による再審開始決定以来、事件に対する司法判断は今回の判決で3度目になる。地裁の決定理由は、治安維持法の効力とポツダム宣言受諾(1945年8月14日)とのかかわりだった。同法は45年10月の勅令で廃止されているが、ポツダム宣言受諾によって実質的に効力を失ったという理由だった。
再審請求した元被告5人は45年8月29日から9月15日までに有罪判決を受けたため、その間の治安維持法の有効性は重大な意味を持った。
05年3月に東京高裁も再審開始を支持したが、別の理由に変わった。拷問による自白強要を認めて「無罪を言い渡すべき新証拠」と判断した。戦後、事件を担当した当時の警察官3人が特別公務員暴行傷害罪で有罪が確定したことが理由とされた。拷問による冤罪(えんざい)であることをほぼ認定した内容だった。
だが判決は、旧刑事訴訟法の規定を元に免訴を言い渡した。治安維持法が廃止され、さらに元被告らが大赦を受けたことは免訴判決を出すしかないという理屈だ。同時に再審無罪を求めた元被告側の主張を「相当の重みを持つ」と指摘し、免訴でも法律的な利益は得られるとの考えを示した。再審無罪を求めることは心情的には理解できるが、法律の枠組みから免訴しかないという思いが読み取れる。
法律的にはそうした解釈もあり得るのかもしれないが、国民が納得できる理由とは言えない。拷問による権力犯罪であることが明白なのに無罪判決を言い渡せないのでは、「自浄作用」を失っていることになる。法体系や司法に対する信頼性が根本から問われる。
事件の犠牲者やその家族らにとって、この60年は想像を絶する歳月だったろう。5人は既に亡くなっている。訴訟記録の廃棄という極めて不利な状態から再審の取り組みを始めた。その道のりを想像すれば容認できないのは当然だ。治安維持法の制定や廃止、訴訟記録廃棄に元被告らの責任は何もないのに、結局は不利益にされている。
免訴によっても、悪法を使って権力が無実の人を徹底的に弾圧した事実は変わらない。権力犯罪はいつ起きるか分からず、国民が自ら監視していかなければならないことを、横浜事件は深く教えている。
2006年02月09日木曜日