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(回答先: 座席の場所、生死分けた 羽越線転覆 【朝日新聞】 投稿者 愚民党 日時 2005 年 12 月 28 日 07:22:52)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051228-00000206-yom-soci
山形県庄内町のJR羽越線で特急「いなほ14号」が脱線・転覆した事故で、現場近くの第2最上川橋梁(きょうりょう)(全長627メートル)付近は、同線の現役運転士らが「風速計もあり、事故などは考えにくい安全なポイント」と語る一方で、OBからは「飛ばされそうと思ったこともある」という証言もある。
同橋梁に風速計が設置されたのは1972年で、強風による運行規制も頻繁に出されていた。「突風」への認識は、運転士によってもずれがあることがわかった。
「あの付近は見通しのよい直線。運行上何ら不安はない」。羽越線などの運転士歴26年以上という工藤義晴さん(56)はこう話す。
工藤さんによると、秋田県方向から鉄橋へは緩やかな上りで、渡り終えると約1キロで北余目(あまるめ)駅に着く。特急は同駅を通過するが、次の余目駅までは2・7キロ。工藤さんは「スピードを出す場所ではない」とする。
風速計は鉄橋から約35メートル秋田寄りに設置され、計測データはJR東日本新潟支社の指令室に送られ、運行規制の基になる。
工藤さんは「風速計があるから、安全は保たれてきた。強風が原因で事故が起こったとすれば、お手上げ」と話す。
羽越線と同じ線路を使う陸羽西線の男性運転士(59)も、「風が強いといっても、あの場所に恐怖や不安を感じる運転士などいない」と言い切る。「何十年も走っているが、危険な目に遭った経験もないし話を聞いたこともない」とする。
一方、1987年まで約30年間、羽越線の運転士を務め、特急「いなほ」も10年間運転していたという佐藤豊一さん(72)は、同橋梁について「強い風が吹く怖い区間だった」と振り返る。「陸橋と違い、下から来る風もあって怖かった」とも話す。運転士仲間の間でも「風で飛ばされるところだった」という会話もあったという。
第2最上川橋梁は、手前の砂越駅を過ぎ、カーブを抜けて長めの直線に入るところにあり、比較的スピードを出せるが、佐藤さんは「強風の時は、スピードを上げてもせいぜい時速90キロ。100キロも出さなかった」という。
また、強い風を感じて、風速を確認すると、「毎秒10メートル台だったことが多かった」といい、体感する風は、風速計以上だったと振り返った。
(読売新聞) - 12月28日15時8分更新