★阿修羅♪ > 日本の事件18 > 581.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 山形・庄内 特急脱線、風に苦しむ町 【東京新聞】 投稿者 愚民党 日時 2005 年 12 月 27 日 23:53:21)
羽越線脱線 新たに犠牲者 「毛布を」叫ぶ隊員 泣き崩れる母親ら
山形県庄内町のJR羽越線脱線転覆事故で二十七日午後、「く」の字に曲がった先頭車両の下から、山形地検鶴岡支部事務官、江本陽子さん(28)の遺体が新たに見つかった。事故車両では、幼い女の子と母親らしい女性の目撃情報も寄せられており、今も車両の下敷きになっている可能性がある。事故発生から三日目の夜。現場では警察犬やシャベルを使い懸命の捜索活動が続くが、豪雪が障害となり難航している。
「毛布、毛布を!」
叫ぶ救急隊員。午後三時四十五分ごろ、警察犬が、線路脇の小屋に突っ込んで横転した先頭車両の付近で突然激しくほえ始めた。
直後にブルーシートが張られ、周辺に散っていた警官や救急隊員らが続々と集まった。これ以上の犠牲者はいないと思われていた中での遺体発見に、重苦しい空気に包まれた。
江本さんの遺体は先頭車両の窓から上半身が出た形で発見された。シャベルを使って捜索した消防隊員は「最初、頭部が見つかり、掘り進めたところ、肩の部分が見えた」。さらに両手の指のマニキュア、ブーツをはいた足ものぞいたが、下半身があった車内に土砂が入り込んでいたため、外へ運び出す作業は難航した。
秋田県の高校から大学に進んだ江本さんは、数年前に山形地検に就職。当時の同僚によると、犯歴や証拠などを取り扱ってまじめに仕事に取り組み、職場のスポーツ活動の応援で周囲に飲み物を配るなど、気配りのできる女性だった。
以前の上司は「行方不明と聞いたときは、現場で捜索に加わりたいくらい、仕事が手につかなかった」。江本さんは実家と自宅の往復には、普段から特急いなほを使い、事故当日も秋田駅から母親に「これからいなほに乗る」と連絡していた。
江本さんの遺体は夜、庄内署の霊安室に運び込まれた。同署によると、対面した父親は呆然(ぼうぜん)とし、気落ちした様子で「間違いありません」と身元を確認。母親と姉は冷えきった江本さんにすがりつき、号泣したという。
現場にはなお二人が取り残されている可能性があり、山形県警や地元消防は、二百八十人態勢で捜索を続行。ファイバースコープや生存者探査システムなどの機器や警察犬も導入。宮城県警の応援も受けたが、記録的な豪雪が大きな障害に。車両の隠れた部分を調べるため、重機を使って小屋の柱の撤去作業が行われたが、足場が悪く、鉄板を使った舗装作業も同時に進められた。
◇
■鉄橋通過後170メートルで脱線か
JR脱線転覆事故で、現場の最上川の鉄橋終端から新潟寄り約百七十メートル地点の軌道上に、特急「いなほ14号」が脱線を始めたとみられる痕跡があることが二十七日、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の調査で分かった。最後尾の車両は約九十メートル先にあり、電車は脱線した状態で少なくとも九十メートル走行したとみられる。
またJR東日本のデータ解析で、脱線発生時刻と特定された「二十五日午後七時十四分」の風速は運行指令が警戒を必要としない風速二〇メートル未満だったことも判明。垂直方向の風は風速計の数値に表れにくいといい、鉄橋を通過中の特急が下からの突風にあおられた可能性が強くなった。
JR東の在来線では二百二十二カ所の風速規制場所があり、うち危険度が高い四十一カ所は、風速が二〇メートルで減速する「早め規制」の区間。だが、現場近くの鉄橋を含む百八十一カ所は風速二〇メートルなら指令が警戒するだけでよく、指令から運転士に風速の情報伝達の必要はない。二五メートル以上で速度規制し、三〇メートル以上で運転を見合わせる区間となっている。
JR東によると、鉄橋から酒田寄り三十五メートルにある風速計の数値は、少なくとも事故当時は警戒を必要としない風速下で、時速百二十キロの走行が可能な状況だった。鈴木高司運転士(29)は「悪天候なので百キロまで速度を落とした」と説明。その後鉄橋を過ぎた付近で「強風が吹き車両が浮き上がった」という。
風速計は水平方向の風を観測するもので垂直方向の風は数値に表れにくいという。鉄道関係者は「仮説としては、鉄橋を通過中の高所にある列車に対し、下から吹き上げるような突風が吹いたと想定ができる」とみる。ただ、風速計の位置と車両が浮き上がったとされる鉄橋を過ぎた地点とでは、六百六十二メートルも離れているため、風速計の位置とは異なる瞬間的な強い横風が吹いた可能性もありうるとみている。
http://www.sankei.co.jp/news/morning/28na1001.htm