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(回答先: 山形特急転覆 「く」の字形の車体、横転車両 上空ルポ (毎日新聞) 投稿者 ウソ捏造工場 日時 2005 年 12 月 26 日 21:02:51)
山形・庄内 特急脱線、風に苦しむ町
三十七人が死傷したJR羽越線列車脱線事故。現場の山形県庄内町には、一年を通じて強い風が吹きつける。厳しい気象条件を逆手に風力発電を町づくりに生かすが、そこへ起きたのが脱線の惨事だ。風に苦しめられ続ける町の格闘とは。 (星野恵一、田原拓治)
「事故の日は日中から、みぞれまじりの雨でのう、夕方からは風が強かった。ふだん風が強い時には、橋の近くで電車がノロノロ運転したり、止まったりしていた。そうやって風が強い鉄橋を避けてるんだろうと思ってたけどのう」
秋田発新潟行き特急電車「いなほ14号」の脱線現場近くに住む主婦、佐藤美枝子さん(56)が話した。
近所の男性会社員(64)は「マイナス二、三度になると必ず地吹雪で、冬は台風並みだ。立木をなでる音はすごいし家の換気扇のフードがガタガタ鳴る」と“風の街”の暮らしを語る。
事故が起きた庄内町(立川(たちかわ)、余目(あまるめ)両町が七月合併)は、日本海沿いの酒田市中心部から南東約十キロ。「町内の主要な道路には、暴風雪を避けるための柵が設置されている。柵が命綱」とタクシーの運転手が話す。
事故現場は最上川に架かる鉄橋から南に約二百六十メートルの地点だ。周囲には河川敷と田んぼが広がり、民家は少ない。電車の先頭車両は事故当時のまま、線路が通る土手下数メートルの養豚場の豚舎にぶつかり、くの字にひしゃげていた。
■4日に一度は『10メートル以上』が
二十六日は時折、体を持っていくような強い地吹雪が吹き付け、風で巻き上げられた雪が視界をさえぎる中、車内に取り残された乗客の救出活動が続き、終日、警察やJR職員、マスコミでごった返した。
横転した車両のすぐ近くに建てられた仮設プレハブには、献花台が置かれ、遺族やJR職員が花を手向ける姿もあった。「二十五日夜から現場に詰めている」というJR職員は、「この辺は、川が近いから風が通りやすい。風で、電車が止まることはあるが…」と言葉を詰まらせた。
山形地方気象台によれば、「庄内地方は年間を通じて風が強く、この時期は、冬型の気圧配置になると、中国大陸から北西の風が吹き込み、強風が吹く」。庄内町では風速一〇メートル以上の風が平均四日に一度吹きつける。今月は「瞬間最大風速二〇メートルを記録した日が十四日を数えた」という。
「合併前の旧立川町が特に『風の街』と呼ばれてきた」と話すのは庄内町役場の清野正夫総務課長だ。風力発電が盛んで現在、町営を含め十一基の発電用風車がある。発電した電気を電力会社に売って十一基で年間約一億円を稼ぐ。
その風が時として牙をむく。「今回のような事故は初めてだけど、十二月に入ると風で農作物のビニールハウスが倒壊するなど風の被害が多い」と清野課長。
現場付近では会社員渋谷恒広さん(55)が「ここでは風がなくても急に突風が吹く。家の近くの豚舎のトタン屋根が風に簡単に持っていかれる」と話した。無職佐藤利男さん(75)は、隣接する酒田市で起きた一九七六年十月の「酒田大火」を引き合いに出した。「火事は普通、火が見えるが、あの時は風が強くて、火さえ見えなかった。空は真っ赤だったのに」と話す。
冒頭の主婦、佐藤さんは今年四月のJR福知山線脱線事故に触れた。「この沿線にも、民家が建っている所もある。民家に突っ込まなくて良かった。でも、昨日は、風が強かったのに、ノロノロ運転をしてなかったのかのう」
地元庄内町選出の吉泉秀男県議も降ってわいた事故に慌てていた。「本当に予想外だ。当日は雷もなっていたが、この季節、地吹雪がひどいことはそう珍しくはない。この過疎の地域で羽越線は東京に出るにも大切な路線。地元では高速化も陳情してきた。だけど、こんな事故があると、それも遠のくかもしれない」
庄内町の環境課職員は「事故当日、風力発電の風車が、強い風で止まっていた」と明かす。
発電用の巨大風車は、過回転を防ぐため機種ごとに風速二〇メートルか、二五メートルを超すと自動的に止まる仕組みだ。
■周辺の町から『嫁に出すな』
ふだんから冬の強い季節風に加え、四月から十月にかけては山側から庄内平野へ「清川だし」が吹き下ろす。農作物に被害を与え、大火の原因にもなって「日本三大悪風」と呼ばれてきた局地風だ。
JA庄内たがわ立川基幹支所のある職員は「発電はできるけど、農業にとって風は何一ついいことはない」と言う。稲作のほか、サクランボやリンゴなど果樹栽培が盛んな場所だが、「収穫直前の果樹が落ち、春は植えたばかりの苗が流され、秋には稲穂が倒されてしまう」。
だから周辺の町には「立川には嫁は出すな」という言い伝えもある。風のために味わう苦労がそれほど多いわけだ。
風況解析の専門家で、気象予報士でもある「北海道市民風力発電」職員の陸野秀明氏は「風力発電で庄内(旧立川)町は日本での草分け的な地域だ。ただ今回、脱線現場から約一キロ離れた酒田測候所で観測された風速二〇メートル級は北海道・石狩平野でも吹く。冬の北日本では珍しくはない」と語る。
JR東日本によると、現場の鉄橋から、進行方向とは逆の酒田側三十五メートルにも風速計があった。事故の発生は午後七時十四分だが、同十六分の観測データは酒田測候所とほぼ同じ風速二〇メートル。運行規則では二五メートル以上が徐行、三〇メートル以上を運転停止と定めており、同社では規則を無視した運転ではなかったとみている。
陸野氏は「風は常にピンポイント。私たちも風力発電の設計の際、それに泣かされてきた」と強調する。「風は地形で敏感に変わり、建造物や地表の構造に左右される。下が川の鉄橋の場合、川には摩擦がないので風の通り道になりやすい。そうなると、近くで観測した二倍くらいの風力の風が鉄橋上で吹いていても不思議ではない」
とりわけ、最上川橋梁(きょうりょう)は下路橋と呼ばれ、レールや枕木をアーチでつり下げる構造で、新幹線などレールの土台部分にすき間のない上路橋と比較して、川面から吹き抜ける風の影響を受けやすいと言われている。
これまでも風による鉄道事故は繰り返されてきた。旧国鉄時代の一九八六年十二月には兵庫県香住(現香美)町の山陰線余部(あまるべ)鉄橋(下路橋)で、回送中のお座敷列車「みやび」(七両)が突風にあおられ転落。真下のカニ缶詰工場を直撃し、六人が死亡している。事故後、この区間では徐行基準が事故前の風速二五メートルから二〇メートルに引き下げられた。
「余部鉄橋事故の教訓が生かされていない」と旧国鉄民営化問題を追ってきたジャーナリストの立山学氏はみる。「当時、民営化の準備が始まっており、現場にいて、複雑な気象状況を判断し、運転士に伝えていたベテラン駅員はリストラされていた。数値だけではとらえきれない自然の驚異がある。それに対応できるのはそこに住む人間の長い経験だ。今回の事故でも、そうした人間の勘を生かす仕組みがなかったのではないか」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20051227/mng_____tokuho__000.shtml