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思想のもとでであれ、人を集めるには魅力が無くてはならないが、その魅力は社会文脈上で成立する。また市場で成立するのだが、それは後述。
人を集めるには他者の需要と様式に沿わねばならないものの、他者の需要と様式は社会文脈上で成立している。
しかも、他者と交流をもたねばならないわけだが、そこにも広告が挿入されるか、肯定的な固有名詞が混入することがある。
さらに、交流をもつためには一定の取引を要し、時間的な譲歩や、必要な情報・物品・行為を交換せねばならず、
そうやって交渉上で優位化する必要がある。思想そのものに世俗的に現前する魅力が乏しいとき、入り口まで招き寄せられねば、他で演出するしかない。
「判らない奴は馬鹿だ」と突き放す手法も1つであろうが、むろんそれ単独で奏功する由もない。
ただ、こうした知的差別の機能性は小さくなく、巨大思想圏としての国家教育の成立にも、本源的に知的排除が関わっていて不思議は無い。
折伏のために人と接するには、様式の学習と、関連商品知識を要し、
発言力・指導力のある「価値ある人」になるためにと、競争の最前線に身を投じざるをえなくなる。
競争では、競争自体に使わない他をこそぎ落とすことが戦略の前提となろうも、
余分な思想を自己排除するのでは本末転倒である。