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(回答先: 微笑に似せた嘲笑 またはその逆もある 投稿者 金十字架 日時 2005 年 12 月 14 日 20:21:38)
“事件後の宅間暴言集”
“裁判での暴言”
おう、座っちゃあかんか?
検察側が起訴状朗読を始めると「おう、座っちゃあかんか」と発言。「立って聞いていなさい」と裁判長の口調は厳しかった。
「足を組むのをやめなさい」と再び裁判長に注意された。
被害者らの調書約150通を弁護団が差し入れしたが、読み終えた後の宅間被告の感想は「遺族に対して不謹慎で、言うのもはばかられる」(弁護団)ものだった。
反省の気持ちない
「反省や申し訳ない気持ちはない。自分への後悔だけ」
「(傷つけるのは)100人でも1000人でも同じだった。関係のない子どもより(恨みを持っていた)3番目の妻を殺した方が満足だったかもしれない」
父親を殺していれば・・・
「(当時、父親を)殺していれば、もっと違う人生があった。懲役に行かずに済んだ」
世の中のやつは全部敵や
弁護側が「(精神病院への)入院をきっかけに考えが変わったか」と質問すると、「(入院が必要なくなったときに)出してくれていたらこんなところに座っていない。世の中のやつは全部敵や」と、病院や社会への憎しみをあらわにした。
不条理さを世の中に分からせたかった
「自分みたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか5分、10分で殺される不条理さを世の中に分からせたかった」「世の中、勉強だけちゃうぞと、一撃を与えたかった」
「(事件を)起こした後も全然満足していない」
ダンプで大阪・戎橋に突っ込む/拳銃で女子高を襲撃する/空港でスチュワーデスらを無差別に刺す
無差別殺人の計画は事件前夜に思いついたと説明。大阪教育大付属池田小学校の事件も含め、ダンプで大阪・戎橋に突っ込む方法や拳銃で女子高を襲撃する方法、空港でスチュワーデスらを無差別に刺す方法などを考えていたという。なかでもダンプでの計画に関しては「(事件)前夜に戻れるならダンプにしてるやろな。その方が5、6人はねた段階でスリップするとは考えられんし数もいけたと思う」と話した。
午前中の被告人質問では、犯行動機に影響があったとされる3番目の元妻について弁護人が質問。すると、宅間被告は「あの時、顔をズタズタにしてやれば良かった。冷静になればなるほど何でせえへんかったんやろと悔しくてたまらない」
ダンプカーで大阪・ミナミの商店街に突っ込もうと思った
「仕事を失うなどしたら、むちゃくちゃやってやろうと思っていた」と述べ、大量殺人に飛躍する理由を「人生の幕引きをする時の道連れが欲しかったから」(84年の強姦事件で)逮捕された時、拘置所で(大量殺人を)考えた。(ダンプカーで)大阪・ミナミの商店街に突っ込もうと思ってたが、行動には移さなかった」
謝罪する気持ちもない
初公判で「生命をもって償いたい」と述べたことについて、宅間被告は「償うとか関係ない。現実的に死刑しかないと思ったからそう言っただけ。謝罪する気持ちもない」
医師の発言:問題を解決する能力は小学3年生レベル
医師は、被告の性格について「外の殻が非常に閉ざされている一方、内面は非常に情緒不安定という二重構造で、私の診断では初めてのケース。理性、感情、本能のそれぞれの交流がない状態」などと説明した。さらに、被告の精神状態が非常に未熟で、問題を解決する能力は小学3年生レベル
遺族の発言:「死刑にするだけでなく、外国で起きた事件のときのように、ビデオで死刑を確認したい」(これ実現したらすごいな。)
30秒あれば1人ぐらい殺せる。かかってこい
宅間被告は検察側の質問に「答えても答えなくても刑は一緒。絞首台に上がるまで秘密や」などと発言、反省や遺族への謝罪の言葉はなかった。
宅間被告は、弁護側から「事件の原因は何か」と聞かれ「ひらめきと機転のなさと運。仕事をクビにならなかったらこんな事件は起こさなかった」と供述。
遺族の話を聞いてどう思ったか、との質問に「立場を置き換えて、自分だったら(被告から)謝罪されても何とも思わない」と答えた。
犯行当時の様子を質問した検察側に「わしをなめとる。30秒あれば1人ぐらい殺せる。かかってこい」と食ってかかる場面もあった。
傍聴席にらみ退廷
宅間被告に死刑求刑−−検察論告「責任能力は完全」
幼稚園ならもっと殺せた
死ぬことは全くびびっていない
「今まで、散々不愉快な思いをさせられて生きてきた」「しょうもない貧乏たれの人生やったら、今回のパターンの方がよかった」「幼稚園ならもっと殺せたと、今でもこんなことばかり考えてしまう。いずれにしても死ぬことはびびってません」
ちょっとマジで書けない暴言で強制退廷しました。(筆者記)
「何も言えないよりはよかった。本当なら4人の遺族を名指しで批判するつもりだった」などと話し、死刑判決を受けた後でも反省していないという。 宅間被告が判決公判に持ち込んでいた便せん3枚には、これまでの公判で遺族が行った意見陳述や証言に対する逆恨みが書き連ねられており、遺族を中傷するような内容もあったという。
判決後 「刑事責任能力がそこまで認められたなら控訴しても仕方がない」
http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/takmar2.html“から、一部を消去‥‥任意に編集して、転載”