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(回答先: ひとつの体験記「自己喪失の体験」 著/バーナデット・ロバーツ 投稿者 金十字架 日時 2005 年 12 月 01 日 02:25:48)
人が自己を認識するとき、意識は大抵目線にあると思うが、肉体的な意識は誤りかもしれぬ。
意識というものを認識するのは脳だが、
無意識を意識するのは果たして脳か。
腸が原始脳だということは、当たり前ながら言葉では伝え切らない
多くの事を語っている。
はたして精神を正しく意識するのは体のどの部分がもっとも良いのか。
胸か、脳か、腸か。
普段目線の位置に意識していたはずが、寝ていたら体の中心に来ていた。
どうやら肺のあたりらしい。なぜか。
自分の呼吸する音が、まるで胎内に身ごもられていた時のように
脈打つ音とともにオブラートに包まれて上方部に聞こえる。
これは誠か嘘か。
普段皮膚の内外に走る触感と骨に張り付く筋肉の
緊張と収縮に合致する両腕の意識が、
突如、波打つ血流を運ぶパイプのような血管にすりかわる。
指先にまで網羅する毛細血管の先端に指先が無数に割れているかのようだ。
そのことにより重い体を動かすのも筋肉ではなく実は血である事を知る。
これは誠か嘘か。
ひとりの人間にとってはこれは事実である。