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(回答先: ほぅぅぅぅぅぅぅぅぅ、主観依存症、ほぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅううううう、それらは全て、それ以上であるッ(笑) 投稿者 べらぼうめえ 日時 2005 年 11 月 22 日 15:12:31)
だから主観と言っている。
自己の認識を常に更新し続ける態度こそが正しい。
つまり、思考運動に意味を見出しているのであって
得られた認識について「絶対的真理」という思い上がりをしないように戒めているのだ。
私は今現在自分が持っている世界観を崩すような情報は無いか?
という事で情報漁りをしている。
自説を強化する為に都合がいい情報を探す態度の逆だ。
このような態度を取らない限り訴求力のある説は生み出せない。
いわゆる左翼の敗北は
自説に都合が悪い情報をシャットアウトした事による。
「客観的真理」という「薄っぺらな世界」に自分の脳を閉じ込めたのだ。
ソ連が崩壊した時に
負けるハズが無い計画経済が市場経済に負けた理由を説明できなかった。
答えは(官僚主導型)計画経済は市場経済に取って代わるものでは無く
市場経済の補完物でしかなかったという事だ。
自分が働いて稼いだ金を持って市場で買い物をする。
これ以上の経済システムはまだ生まれていない。
労働の価値を表す方法が金しか無いのであれば当然の事だ。
全ての情報が自分の世界観に整合的かどうかを検証する必要がある。
これが強力な「主観」を作る道だ。
「主観ー客観」図式によって主観は否定的に捉えられた。
主観に過ぎないものを「客観的」と強弁する危険性を私は訴える。
「うまく説明する」事ができる事の全てであり
それ以上のものを求めてはならない。
絶対的真理を求める態度は
権力欲である。
もし、自分だけが絶対的真理を把握したと考えたとしたら?
全ての人間に対して優位に立つ事になる。
唯我独尊となり、真理に到達していない者を殺してもいいという事になるのだ。
これが内ゲバの論理である。
オウム真理教のポアだ。
このような姿勢の否定こそが哲学の第一の任務だ。