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(回答先: ほぅぅぅぅぅぅぇぇぇぇほっほほほ “真理があるのが真理” ほぅぅぅぅぅぅぇぇぇぇほっほほほ 投稿者 べらぼうめえ 日時 2005 年 11 月 18 日 07:29:35)
「我思う故に我あり」(デカルト「方法序説」)だ。
客観とは意識の外の存在だ。
この存在証明はできないという事を言っている。
実際に存在するのは脳だけで脳に刺激を与えて仮想現実を見せているかも知れないんだゼ。
しかし、仮想現実を現実と思い込ませる為には世界観の整合性が無ければならずその整合的世界を見せられているダケかも知れないという事だ。
左翼(唯物論)は意識の外にある客観的存在を前提として話を組み立てている。
一般的にはそれで通用するだろう。
しかし、それは1つの宗派に過ぎず「信じているだけ」だ。
だから私は従来型の「唯物論左翼」では無い。
田畑稔氏は唯物論左翼でしょうけどね。
彼は哲学の目的は「よりよく生きる」事だと言った。
だから唯物論で充分だとも思っているのだろう。
それは既に「真理」をあきらめている立場だろう。
その意味で私も同じ立場だ。
但し、私は「よりよく生きる」為に論を立てるのであり、
決して「これこそが唯一の真理だ。」などと言わないだろう。
私が断定する事が気に入らないか?
私は自分の論は主観に過ぎず、他者と「より現実的な共同主観」を作ろうと言っているのだ。
この立場が理解できないだろうか?
「客観的な事実」なるものを証明しようとする事は
過剰な欲望だ。
そんな事は必要ない。
全ての文章に矛盾が無い共同主観を生み出す事に成功すればそれで充分であり、
そんなものができたら全ての人にそれが波及するだろう。
地球が丸い事を今では誰も疑わないように。
それを現実と呼びたければ呼んでもいい。
しかし、他の文章と矛盾がある段階で「これこそが唯一絶対の真理だ。」と強弁する事は天動説を真理と強弁するのと同じく害をもたらす。
無限の概念について言えば
空間の把握において我々のほとんどは3次元的な空間像しか想像できないだろう。
宇宙も3次元的に捉えられており「宇宙のはて」の向こうはどうなっているのか?
と考えれば「無限の空間」という概念しか我々には持ちようも無いと思う。
宇宙が膨張(爆発)し続けている
というが、だったら大きくなる宇宙が「大きくなる事ができる」スペース(文字通り宇宙)が無ければならないという考えしか持つことができないだろう。
だから全ての人間が「無限」の概念を信じていると言えるのである。
時間についても同じ。
相対性理論は私はまだ勉強しておりません。
従って上記のような空間と時間の把握しかできないのです。
一応、お断りしておきますが、
私は現代思想を知る者ではありません。
読もうとしましたが理解できませんでした。
そんな勉強よりも「貧困を無くす」というような現実的課題の方が興味があります。
私が持つ「共同主観世界」ではその事こそが最重要課題と思えるからです。
「貧困を無くす」為に「哲学が必要か?」と問われたら
「必要で無いように思えます。」と答えます。
「客観依存症」からの脱却が必要だと思います。