★阿修羅♪ > 雑談専用16 > 909.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」、是非見てみたいと思います 投稿者 heart 日時 2006 年 2 月 03 日 22:44:45)
だから、起こった当初は脳の中の記憶を司る部分に絶対的に大きなスペースを占めていた事柄も、年月とともにそのスペースも相対的に小さなものになっていき、最終的には記憶している本人にとっても、記憶そのものまで客観的なものになっていってしまうのだと思います。
よく「今だからいえる」と言って重大なことを告白します。小生の場合も同じような心理が働いているのだと思われます。小生自身の子ども時代の記憶も、50数年経った今ではもはや、丁度必要なときに古いフィルムを取りだして、スクリーンに映し出すのと同じ、起こった当初のような辛さは、もう薄れてしまって、無いのです。それどころか、初めて聞く人の方がむしろ辛いかもしれないのです。
heartさんからのレスを読んで、こんな風に思いました。申し訳ないのでheartさん、これへのレスはけっこうです。
追伸
その後「同情会・子どもの家」には弟に面会に行ったほかには2度、訪れています。1度目は大阪の某府立高校に入学したときに、それ以後は40歳代に1度訪ねました。1度目の時は理事長先生が大変喜んでくださいました。自分で言うのも恥ずかしいのですが、入学した高校が関西一円に大学進学で知られた名門校だったからだと思います。
2度目の時は、小生を覚えている人はもう1人しかおられませんでした。その方もかなりの年齢でしたから、もうお亡くなりになっているかもしれません。同室だった子たちのその後の消息を詳しく教えてくださいました。小生同様多くは、結婚して家族共々幸せに暮らしているようでした。