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(回答先: 真と偽の2分法からそう簡単に逃れられるものか? 投稿者 まさちゃん 日時 2006 年 1 月 12 日 19:00:36)
まさちゃんさん、こんにちは、レスをありがとうございます。
>“binary(二進法)的な思考に偏った、つまり思考停止の状態に陥った”とは、binary(二進法)的な思考に偏った=思考停止の状態に陥ったの意味でしょうか?
【「binary(二進法)的な思考(方法)に偏りもっと細かいことを言えば、decimal(十進法)もduodecimal(十二進法)もbinary(二進法)で表現可能です。本質的な違いはありません。」(まさちゃん氏)についてはご指摘の通りであり、異論はありません。文科系出身の私も40年程前の大学受験期の記憶を取り戻したと同時に、お陰様で新たな気づきを得ました。
ところで、私は考察者kさんの「思考停止のデジタル二元論」に関して、例えば善悪二元論で社会現象を捉える傾向と、またそうした思考パターンを克服できないことを思考停止の状態にあると解釈し、binary(二進法)の本質的な部分は捨象して思考パターンについて記述する場合に「可」or「否」といった外形上の特徴をレトリックに用いましたが、他意は全くありません。
>Kさんの言う【肖像権に限らず、現在の社会では「一部の人の意見によって、全ての人に自分の価値観を押しつける形の法律」が作成運用されている面が多くなっている。】という命題も、命題論理的には「真」か「偽」かの2値しかありえません。
>Kさんの主張する命題が真でも偽でもないなら、主張すること自体が無意味ですし、同時に真でも偽でもあることは考えられません。
考察者kさんの立論には“穴”があることはご自身も認めており、しかも開き直ってもおられることから、目くじらをたてて挑んでみても詮無きことのように思います。けれども、ここは雑談の場ですから、論理上の瑕疵は脇に置いて考察者kさんの「想い」=「心情」を汲んでレスしたような次第です。
>人間の論理的な思考がそうそう簡単に「2分法」から逃れられるとは、私は思いません。
基本的に同意いたします。私自身は思考実験に際して先ずは紙面上にフリーハンドで素描することが習性になっていますし、それは一目瞭然、「2分法」の展開そのものです。しかし、再構成にあたっては文学的にはどんなcontextに依拠すべきかが検討課題になりますが、数理学的にはどんなformula or functionを用いるかが問題になるのではないでしょうか。
>マルクスがヘーゲル弁証法を「転倒し得ている(柄谷行人流に言うなら、遠近法的倒錯である、か?)」と喝破したことが思い出されます。
私にとって弁証法は三木清の『哲学入門』が導入部で、『大論理学』には大いに魅せられましたが、『精神現象学』及び『歴史哲学講義』では落胆させられた記憶があります。
>いずれにせよ、人間が(真と偽の)2分法的思考からそう簡単に逃れられるものか?、私には疑問です。
さらにその向うには、再構成の問題が待ち受けていると推察しています。
また、会いましょう。