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(回答先: 『男たちの大和』 観てきました。 なんでダイバーズ・ウオッチしてんねん?! 投稿者 ジャック・どんどん 日時 2005 年 12 月 27 日 15:50:59)
12月28日付「しんぶん赤旗」【社会・総合面】で、戦艦大和の乗組員、3,332人中、生還した269人のうちの1人、和歌山県田辺市の渕龍寺住職・中道豊洲さんが、「左舷に魚雷の集中攻撃を受け、大きく傾いた。それでも胸まで海水に漬かりながら高角砲を撃ち続けていた兵士もいた。総員退去の命令が出た直後、激しい渦に飲み込まれた」と「大和」の最後を語っている。
中道さんの任務は「大和」前艦橋最高所の測量室で敵艦の進路と速力を双眼鏡で観測するというものだった。
■沈没直前の“死にたばこ”
何本もの魚雷を撃ち込まれて沈没不可避となった1945年4月7日午後2時22分、総員退去命令が下された。中道さんは沈没寸前の右舷で“死にたばこ”をふかす兵士らを目撃。甲板に下りようとして激しい海水の渦に巻き込まれた。
「なんぼもがいても海中に吸い込まれる。口と鼻から水が入ってくる。亡くなった母の面影が浮かび、レンゲ畑が広がった。と、その瞬間、体が海中を走った」。沈み行く大和の海中爆発が中道さんを海上に噴き上げ、気がつくと海面に浮かんでいた。
洋上漂流4時間後、救助にきた駆逐艦「冬月」に引き上げられた。米艦載機攻撃から辛くも逃れた駆逐艦4隻が救助活動を行った。米軍が制空権を完全に握るなか、救助活動は日没で中止、翌朝救助を再開することなく駆逐艦4隻は深夜佐世保に向け出発した。
■国民には「不沈」
大和は国民向けには「不沈戦艦」。だが、その実質は、勝利を度外視した「特攻隊」だった。大和の受けた命令は「第2艦隊大和以下は水上特攻隊として沖縄の敵泊地に突入し、所在の敵輸送団を攻撃、殲滅すべし」。沖縄の浅瀬に乗り上げ「動かぬ砲台」となって沖縄地上戦を支援する、という位置づけのものだった。
「作戦は?」と問う艦長には「1億特攻の先駆けとなれ」という回答があったという。突入前夜は艦長、隊員の区別なく肩を組み、酒を酌み交わした。翌朝親兄弟に手紙を書き、髪・爪を同封した。中道さんは「死に場所を得たという気持ちだった。大和に乗艦すること自体が、全海軍羨望の的だった。その大和で死ねるのだから悔いはなかった」と当時を振りかえる。
反戦平和の語り部として今、中道さんは自身の体験を語り続けている。「あの戦争自体が許されないことでした。ヒロシマをはじめとする悲劇も43年のミッドウェー海戦で敗れた戦争の行方を見れば回避できることだった。潔く降伏することもせず、多くの人命を犠牲にした。本当に許せない戦争だった」
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投稿者 とこしえ 日時 2005 年 12 月 12 日
http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/366.html
Re: 右翼と左翼 元はひとつ、国家社会のために身を捨てて戦っている男たち
投稿者 Mグループ 日時 2005 年 12 月 12 日http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/370.html
Re: 「男たちの大和」を見よう!(三四郎日記)【「戦艦大和」は家族も祖国も愛する人も守れない無用の長物だった】
投稿者 gataro 日時 2005 年 12 月 27 日
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