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(回答先: Re: ドロボーの論理 投稿者 南青山 日時 2005 年 12 月 18 日 08:06:42)
>南青山さん どうもです。
全ては「ドロボーの論理」として全く論理的説明をしていないように感じています。
断って起きますが「Kは現在の法律は無視して良い」とは書いていません。今回は削除が妥当だとも書いています。
ただ、その上で「法律の文字面が正しいのかは考えていかなければいけない」と主張しています。法律の理念というのがあり、それは必ずしも文字面とは合致していないと言う場合もあるとKは考えています。古くなったり、現行制度では意味を失っていたり、実用的ではないと思われる規則は変えていくのも一つの考え方でしょう。「法を守るのは法治国家では当たり前ですが、法が正しいと盲信するのは間違いだろう」と思います。
その上で「法に書いてあるのだから」何は何でも正しいと考えるのがデジタル思考の二元論的思考でしょう。「法に書いてあるから、今回は守るとしても、この法は見直した方が良くはないだろうか?」という考え方もしないと、息苦しいだけの【支配層に都合の良い社会】になっていくのではないでしょうか?
Kは著作権で一番尊重すべきは「作者の意向」だろうと思います。そこは「作品が売れる限りは収入がある」でも「自由に参照・引用OK」でも良いのですが、現行制度では出版社等の「著作権に群がる関係者の既得権」に重きが置かれている気がします。
Kの考えでは「文化的作品」は「作者の意向と権利」>「社会全体の文化的意味合い」>「出版社等の利潤」の順で考えるべきだろうと考えています。
シャープのX68000は商品価値が無くなったから著作権を解放した。というより、シャープの戦略はX68000の発売当初から「全ての内部資料を公開し5年間はそれを変えない」という事で、ユーザーに愛されるマシンを発売したのです。その為に日本のプログラマーの進歩があったと言われています。現在の一流プログラマーと言われる人はかなりの比率でX68000のユーザーだったのです。当のX68000は「5年間のモデルチェンジ無しが災いして、市場から姿を消す」事になりましたが、これは「コンピューターのサイクルが早くなりすぎたのを見誤ったミス」でしょうが、X68000の戦略が日本のPC文化に果たした功績は大きいとKは考えています。
今回の事ですが「泉谷しげるさんが苦情を言っている」のでしたら南青山さんの主張は正しいでしょう。また、音楽配信をしたのなら南青山さんの主張は正しいのでしょう。
しかし「現在の法律では許されない」のと「その法律は正しい」というのは別の問題でしょう。
Kは「ドロボーの理論」を主張しているつもりはありませんが、そこは意見の違いです。
しかし「現行の法律は正しい」という意見でしたら「論理的にそれを説明すべき」でしょうし、「今回の例でも実損がある」と主張されるのでしたら、そこを論理的に説明すべきです。
再度書いておきますが、Kは「現行の法律では許されない」のは分かっているが「この法律は適切とは思えない」と主張しています。南青山さんの意見は「それに対して正面からの反論になっていない」と考えています。