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(回答先: 結局、敗戦の棚ぼたで与えられた民主主義は日本に根付かなかったということ 投稿者 i^i 日時 2005 年 12 月 16 日 23:53:05)
>i^iさん どうもです。
考え方自体は概ね正しいと言う面と若干ながら危険という面がある気がします。
姉歯建築士事件についてはpiyopiyoさんへのレスも参考にしてください。
>【「民主主義」の本質が「姿を変えた(市民)戦争」だということについての理解が欠落しているのだと思います。】
この部分が問題なのですが、民主主義に限らず、全ての世界は「生き残るためには戦って勝ち上がる」事も必要でしょう。資本主義経済社会では特にその面が大きくなってきます。しかし、民主主義の本質という意味合いで【政治家連中を持続的に監視し、異議申し立てをすることが大切なはずです。】と続くからには、違う意味を持っているのでしょう。
日本型間接的民主主義に限れば、政治家は「地域の代議士であり、選出地域の利益代表」という意味合いも持っています。そこを完全に排除できるならば「定数問題が裁判になるのはおかしい」と思いますから、実際の場面ではともかくとして「本来ならば、政治家は戦うべき対象ではなく、仲間の中の代表者」であるべきでしょう。Kとすると監視すべきは「組織」であり「異議」は組織のあり方に向けるべきだろうと思います。ただし、それをするには「政治=法律」を動かす必要があります。
しかし、ここで問題なのは「組織という敵」の区分(どこまでが仲間で、どこからが敵という区分け)であり、日本ではこの辺の部分が【結局、敗戦の棚ぼたで与えられた民主主義は日本に根付かなかった】とか【どうも日本人一般は「民主主義」を根本的に誤解しているのではないか】という考察になっているのではないか?と感じています。
例えばですが、先の選挙では「多くの庶民・労働者」が「郵政公社労働者を敵」として意思表明をしました。今の流れは「歳出削減という名目で公務員を一律的に削減」という流れです。公務員労働者と一般市民・労働者の間に溝があり、それを支配階級に利用されて分断されています。また、支社とか労働の現場では「支店長とか現場責任者などを敵対視する風潮もあります」
ここが問題なのですが、賃金労働者である現場責任者などは支配階級層の「窓口ではあっても所詮は労働者階級の仲間」でしかないのですが、庶民労働者の方から「責任を押しつけるための方便として一方的に排除している」面があり、それが労働組合という物が低迷した要因とも考えられます。いわば、仲間を閉め出し「そこに憎しみを集中させる」という手法で「連帯感を作り出した」のです。肩書きによって「仲間を敵に見立て。目に映る仮想敵国とするかのような手法で労働運動を作り出した」のが労組ならば、労組という組織は「組織維持という事が敵の本質」と言う意味合いにおいて「本当は敵」といえるでしょう。
多分ですが、個人を肩書きなどで「敵と認定してはいけない」のです。
そこに間違いの根本と今日の状況があるのだろうと考えています。