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(回答先: 自然農法ha、現状を変えようと意図してなされたのではないと思います。 投稿者 BB 日時 2005 年 12 月 06 日 07:00:33)
>もし彼が、「この世がパーフェクトな存在である神の創造世界である事を発見した」とするなら、すべては変えようとしなくても、現状のままでパーフェクトな神の創造世界の状態であるはずです。
変えるではなく、戻すといったつもりです。しかし第三自然の否定でもありません。
完全ほどつまらぬものもありませんしね。変えなくてよい事は戻し、変える事で使い、感じ、知る喜びと苦しみも与えられた故にパーフェクトなのでしょうか。
>彼は若いときの光明以来、何も心配することもない至福の境地に到達したはずです。それは現状を変えなければならないというものは一切なく、不安に感じていた世界の一切が虚像(幻)であると心から認識できたのではなかったでしょうか。
彼は全ての世界が分離しているのではなく、彼自身も含めすべてはひとつの「無」から投影された現実として認識し、個々の生命体(特に植物)の意識まで繊細に感じられる認識にまで至ったのではないかと想像します。ゆえに彼は、自然に対しては、“自然に突き動かされながら”彼の思考や肉体が、そうせざるをえなかったというのが現状だと思います。彼の自己は、それでも“無為”の状態であったのだと思っております。
その辺の彼の思考に手落ちがあったと思います。ここを議論すると中途半端では済ませられないので回避します。いずれ。
>誰がその資格を与えるのですか?
例えば神は人間に、それができる行為と、それができる思考と、それをもとめる欲望を与え、なおかつ目の前に人参をぶらさげ、しかし人間には資格がないと言っているということでしょうか?
まあわからないでもないですが、やっかいな神ですね(笑)。
与えるという事で受けるところがそもそも隷属的で、ここで言う資格からは外れています。
ところで愚民党さんとの直近のやり取りで、あなたの
>思考するということは、「我思う故に我あり」と多くの人が感じているように、誰しもが自分は思考していると思ってはおりますが、実は、回りの環境や状況で思考させられているというのが多くの人の実態だと思っております。
もし思考を操っていると言うなら、その思考のオンオフを自由自在にコントロールすることができるはずですが、多くの人は、溢れ出す思考を止めることさえできません。
もしある特定のことへの思考を止めようと思うと、次は違う方向へ興味が行き、違う思考をし始めるだけです。
>精神世界の情報を調べると、思考は自分から出ているものではなく、絶えず空間に漂い、それをキャッチしているのが人だと言われております。それは先端科学における量子物理学においても見受けられる発想です。
そしてそのキャッチを的確に、膨大な量を溜める能力がある者が、それに特化した情報処理を行うことが
できるということなのでしょう。
>人が多種多様な欲求や興味により、「思考」のキャッチを多方向へ拡散してしまえば、それだけ特定の思考エネルギーの蓄積を鈍らせる結果になるのでしょう。それには思考をコントロールする技術を磨くことが必要となり、思考に振り回されず、思考を使うことや思考を沈黙させることの能力が必要となるのでしょう。
の表現には実に共鳴いたします。